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2023/12/21 書籍版「道産子たちの沖縄戦記 あゝ沖縄」が完成しました!

様々な方々の想いが詰まった「ああ沖縄」の書籍がついに完成しました。これまでご協力いただいたすべての方へ、深く感謝申し上げます。

改めてこうして書籍となったことで、これまでの私たちの歩みが、皆様のご協力・熱意とともに形として浮かび上がってくる確かな感覚を抱きました。

まずは、クラウドファンディングの出資者向けに書籍の発送作業に取り掛かります。年内からの順次発送を目指しています。本をお待ちの方におかれましては、今しばらくお待ち下さい。

2023/8/18 クラウドファンディング完了しました!

先日8月16日、ついにクラウドファンディングが期間満了となり、プロジェクトが成立しました。ここまでご支援いただいた方々に、まずは御礼申し上げるとともに、今後も気を引き締めて活動していきたいと存じます。

2023/7/12 クラウドファンディング目標100%達成しました!

先日、ついにクラウドファンディングが目標の100%を達成しました。皆様のご支援のお陰です。誠にありがとうございました。

今回のクラウドファンディングでは、ネクストゴールドを設定し、引き続きご支援を募っています。ご興味の方、ぜひ一度下記のURLにアクセスしていただければと思います。

https://readyfor.jp/projects/aaokinawa

2023/6/24 クラウドファンディングについて

おかげさまで、非常に良いスタートを切ることが出来ました。開始日も含め5日目の本日6月24日8時現在で、53%の進捗率となっております。これも皆さまのご支援と熱い願い・想いのお陰です。改めてこちらでも感謝申し上げます。

皆様のご支援を力に、プロジェクトの完遂にむけて、着実に進んでいきたいと思います。

引き続き以下のアドレスにてクラウドファンディングを行っておりますので、まだの方は熟考の上、ぜひご支援を検討いただければと思います。どうかよろしくお願いいたします。

https://readyfor.jp/projects/aaokinawa

2023/6/24 先日放映された「ああ沖縄」へのNHK北海道の取材が、NHK+にてご覧いただけます。

先日NHK北海道の「ほっとニュース北海道」にて放映されました「ああ沖縄」への取材を、NHKプラスにてご覧いただけます。

以下のアドレスをクリックすると、NHKのオンデマンドサイト「NHK+」へ移動します(会員登録が必要)。ああ沖縄についてより知りたい方、まだクラウドファンディングを迷っている方など、この機会にぜひご覧ください。

なお、配信期限は6月30日午後6時までです。

https://plus.nhk.jp/watch/st/010_g1_2023062336501?playlist_id=3f9c55e8-6a7b-4749-922a-ad74e63eab54

2023/6/23 ああ沖縄への取材が6月22日付の北海道新聞に掲載されました

「ああ沖縄」が地元紙・北海道新聞の取材を受け、記事が6月22日の全道面に掲載されました。

記事は以下のアドレスで閲覧可能です(会員登録が必要)。ぜひご覧ください。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/865226/

◇更新情報

2019/8/15 http://aaokinawa.s500.xrea.com/kiji162 に記載の氏名に誤記がありました。訂正してお詫びします。

2018/4/21 コメント欄を開設しました。

2018/3/25 サイト運営上の都合で、一時的にコメントができないようになっています。コメント欄の開設にはしばらくお待ち下さい。

2017/11/8 これまでいただいたコメントへの返信を掲載しました。こちらをクリックして下さい

ああ沖縄 <月形から沖縄まで3000km>

1965年、戦後20年の節目に、当時の北海道日刊紙「北海タイムス」に267回に渡って連載された「ああ沖縄」。当時の記事を一部編集し、復刻版として掲載しています。

ああ沖縄本文、参考資料(掲載予定)については、防衛省図書館に収蔵されています。

当サイトの利用にあたっての注意点

・本文は当時のままのものを掲載しているため、情報提供を呼びかける文言が残っていますが、これは当時のものであり現在は受け付けておりません。ただし、感想などは随時受け付けておりますので、ぜひご投稿ください。

ああ沖縄とは

「ああ沖縄」は1965年、戦後20年の節目の年に当時の北海道日刊紙「北海タイムス」に、267回にわたって連載された特集記事である。太平洋戦争における最激戦となった沖縄戦。そこには北海道から沖縄に送られた兵士たちの姿とともに、彼らを送り出した側の家族や地域の人々の姿がある。

沖縄戦とはなんだったのか?そしてそこに北海道から送られた兵士たちはどんな状況におかれたのか?そして兵士たちの家族は?

本記録は、1998年に廃刊となった北海タイムス紙の遺産ともいえるものだが、同社は倒産し、その著作権の帰属についてはもはやたどるよすがもない。当時同紙記者として、この企画の取材・編集、執筆をほとんど一人で担当したという清水幸一氏も2006年に死去された。

鎮魂の思い

彼がこの仕事に並々ならぬ精力を傾けた背景には、理由があった。

清水氏は終戦の前年、旭川第七師団で予備役兵士の再教育係を担当していた。一度兵役をしりぞき、市民生活を営んでいる者たちを再招集し、訓練を施し、再び戦場に送り出すという職務は、いかに「御国のため」とはいえ、彼の心中に一生ぬぐえない悔悟の念をもたらしたのではないか。北海道から沖縄に送られて犠牲となった1万85名の兵士たち。彼がこの仕事に鎮魂の想いをこめたことは想像に難くない。

亡夫の形見…色あせたスクラップ

辛うじて彼が大切に保管していた267枚のスクラップブックが妻である清水藤子さんのもとにのこされた。以来亡き夫が心血を注いだ労作は、色あせたまま清水さんの書棚の片隅に置かれていたのだった。

清水藤子さんは夫と死別後、月形町に移住し、趣味の絵画や田舎暮らしを楽しむ傍ら、近年は都市から月形町を訪ねてくる若者たちの世話をしていた。藤子さんのまわりでは、いつも若者たちや地域の人々が集い交流していた。そうしたなかで、折からメディアでは戦後70年を迎え北海道と沖縄戦の関わりが取り上げられていたこともあり、たまたま亡夫の労作「ああ沖縄」の話を持ち出したところ、このまま眠らせず世に問うべきでは?という若者たちの声が多く上がった。若者たちに背中を押される形で清水さんは動き出した。

若者たちとともに・・・50年後の再登場

・清水藤子さん

物書きとして人生を全うした亡き夫・幸一氏の形見ともいえるこの記録。清水さんは、そこに込められた彼の想いとその業績を、50年を経た今改めて世に問う作業を若者たちとともに着手した。いま月形の若者たちは、清水さんの親族からの支援と地元NPOのサポートを受けながら、インターネット上でのサイト開設という形で作業を開始した。

その記述内容について、事実関係も含めて様々な視点からの評価に晒されることは想像にかたくない。しかしそれにもまして、50年前に掲載された内容をそのまま手を加えず、現代の人々の目に晒すことが、戦後70年の今日、意味が大きいと思われる。

沖縄戦とは

沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう。

太平洋戦争において、日米の最大規模で最後の戦闘となった。

「沖縄戦」(2015年12月9日 (水) 15:13UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

写真は北海タイムス紙「ああ沖縄」より引用
記 2015年夏 楠順一(月形町在住)