まずはじめに、これまでコメントをくれた方に対して、大変返信が遅くなってしまったことをお詫びします。
私は、「ああ沖縄」管理人です。北海道・月形の一若者であり、清水藤子さんはじめたくさんの方々にご協力・ご支援・アドバイスをいただきながら当サイトを運営しています。
更新はどうしても仕事の合間になってしまいますので、レスポンスが遅いことについて、ご理解いただければと思います。
当初は、反響をほとんど想定していませんでした。これまで2件のコメントをいただき、沖縄戦は今も皆様の心のなかで静かに、しかしはっきりと続いていることを再認識いたしました。
いただいたコメントへの返信は以下に記載しています。
宣伝ビラ 皇居拝し、ピストル自決 恋しい妻よ、子よ より、成瀬様へ
当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
何か、お祖父様との繋がりのようなものをああ沖縄から見つけていただけたのでしたら、とても嬉しいことです。
今後も付録として参考資料を掲載するなど、活動を予定しています。何か力になれれば、と思います。
目次(1-100) より 鈴木様へ
当サイトをご覧いただき、ありがとうございます。
私は、このサイト作成作業に取り掛かりながら、「やはり沖縄戦は過去にしてはならない」という思いを持つようになりました。ですので、このようなコメントをいただき大変喜びを感じました。
今後も活動を予定しています。ゆっくりとご覧になってください。
今後も、コメント等の交流、北海道よりお待ちしております。
「海の特攻隊 切り込み戦を敢行 船舶工兵 ほとんど全滅」を拝見しました。文中に登場する船舶工兵第二十六連隊の「副官石塚春雄少尉」(戦死時は中尉)は私の祖父です。私が幼少の頃、祖母が祖父は太平洋戦争で暁部隊の連隊副官として沖縄方面のどこかの島に出征し、昭和20年に戦死したと言っていました。祖父は陸士出身ではなく召集令状による出征です。沖縄に出征する際、祖父は暁部隊に配属されたのは大学でボート部に所属していたからだと祖母にこっそり話したそうです。それ以外、祖父の戦時中の足跡や戦死に関する詳細は分からないままでしたが、今回その一端を偶然知ることができました。これを足掛かりに、出征から戦死に至る祖父の足跡を調べて、私の子や孫にも伝えていきたいと思います。