斎藤少尉 刀を抱き座ったまま 胸に散弾を受け絶命

 〈戦車のつぎは、自分らだ―まごまごしてはいられないぞ〉伊坂兵長らは、いっさんに駆けだした。

 前田部落につく。江井中隊長はじめ戦友たちがなつかしがって迎えてくれた。

 兵長らは、前線に二、三日いた。指揮班長赤尾勝二曹長(夕張)が右だいたいぶ(大腿部)に負傷した。担架で首里の一日橋の本部まで送ることを命ぜられる。夜になった。六人で担架をかつぎ二人は、うしろから押し、八人とも前かがみの低い姿勢で走る。姿勢を高くするとソ撃される。それはわかっているが、疲れてくると姿勢が高くなる。苦しい、つらい後送―。

 やみの首里を通り越し、道はくだり坂にかかった。待ちかまえていたように迫撃砲弾が、一行九人をとらえた。来るとき、戦車がやられた地点だ。

 絶叫―叫びとも声とも聞きとれなかった。九人とも、いっぺんに吹き飛ばされた。一瞬爆風、破片、土砂が、すごいスピードで伊坂兵長の顔面、頭部に衝突する。兵長は、反射的に急斜面をずり落ちながら

 『赤尾曹長殿―ッ』

 と叫んだ。それも声として耳に聞こえない。バラバラとだれの手足か、空から大根でも降るように落ちてきた。そのまま、しーんとして、どこからも人声が聞こえない。

 兵長は逃げ出した。敵は、やみのなかも見通しなのか、走り出す兵長の前面へ、前面へと砲弾を撃ち込む。行くてをふさぐかのようだ。

 (これでは、逃げ道をさがしてもダメだ―)

 そう思い、足をとめたとき、だれかが泣きわめきながら気違いのように、がけを駆けおりてゆくのが見えた。

 その瞬間、頭部をいきなりうちのめされたようなショック。目がくらんだ。意識がうすれてゆく。

 (くそッ! こんなことで。・・・これくらいで、やられてたまるかッ・・・)

 だが、ズルズル・・・と、からだが落ちてゆく。

 〈俺は死なぬぞ、死んでたまるか・・・〉

 虫のように地面をはいながら、なんどもなんども自分にいいきかせた。

 この夜、赤尾曹長、工藤一等兵(ノモハン帰りの内地出身者)山田一等兵(北海道・補充兵)斎藤上等兵(北海道・補充兵)新垣、喜谷二等兵(沖縄)などが戦死し、頭部に負傷した伊坂兵長は、やっと中隊にたどりついた。

  ××  ××

五月十二日、前田の友軍陣地は敵に包囲された―との情報に、伊坂兵長ら第一分隊、香川曹長の指揮にはいって救援に出動した。

 せまい谷間をとおる。水田の稲があおあおしている。ここだけは、激しい砲撃から忘れられたように、静まりかえっていた。第一回の切り込み隊に参加し、生還した布施上等兵が、斎藤道博少尉(札幌市南二東一)の戦死状況をつぎのように聞かせてくれた。

  ××  ××

 斎藤少尉は、五月五日の第一回切り込み隊長として、猛烈な砲撃のなかを先頭に立ち、軍刀をふりかざして進んだ。

 部下は隊長の鬼神のような勇猛さにまぎれこまれ、われさきにと、自動小銃弾、迫撃砲弾の猛射の中を突撃したが、敵は引き金をひけば、何十発もうてる自動小銃、味方は一発ずつの歩兵銃、十㍍と進まないうち死傷続出。

 斎藤少尉も、のめるように倒れた。だがむっくり起き上がりふたたび前へ進んだ。ふたたび、敵の一斉射撃。少尉は軍刀をつえに、どっと地面にしりをついた。そのまま動かなかった。

 生きている隊員は、戦友のしかばねを踏みこえて突撃し、一命を投げすてて切り込み隊の任務をはたした。

 朝日がのぼった。やけつく暑さに、布施上等兵は正気づき、あたりをはいまわった。生きている者は一人もいなかった。だが、その時、ただ一人、どっかとすわっている斎藤少尉を見つけた。うれしさのあまり、近寄る前に声をかけた。なんど呼んでも答えない。近よってよく見ると胸に数発の敵弾をうけ、軍刀を抱きかかえて目をカッと見開いたままだった。

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斎藤少尉 刀を抱き座ったまま 胸に散弾を受け絶命」への3件のフィードバック

  1. 松﨑

    布施上等兵は次の『不眠不休 いよいよ全滅か』でも書いてありました。
    大叔父さんの隊の方々の名前もわかりました。
    名字しか書かれてなくても、出身地と戦没地がわかりますので、これで氏名が調べられます。
    そして弔いたいと思います。

    沖縄戦争の当時の話を、こうやってネットでどこにいても、誰にでも検索できるようにする活動は素晴らしい功績だと思います。

    大変な作業だったと思われます。

    防衛省でもわからず途方にくれていましたので、助かりました。
    本当にありがとうございました。

    返信
  2. aaokinawa 投稿作成者

    松﨑様

    「不眠不休  いよいよ全滅か  休まず次々攻撃へ」
    http://aaokinawa.s500.xrea.com/kiji162
    の冒頭部隊員一覧の

    佐藤道博中尉(札幌南二東一)

    との表記は、「斎藤道博中尉」の誤記かもしれません。
    今日清水藤子さんに会うので、原本を確認してきたいと思います。
    また、何か追加情報があればこちらに書き込みます。

    「ああ沖縄」が今回資料として少しでも役立てたことを嬉しく思います。
    戦後を生きる世代として、実際に戦争を経験していないからこそ
    こうして資料としての事実を伝え続けることを意識しなくてはならないと
    再認識した次第です。

    こちらこそ、こうしてコメントいただくことで純粋に嬉しいと思いますし、
    お役に立てたことが喜びに繋がります。ありがとうございました。

    返信
  3. aaokinawa 投稿作成者

    私用でここ数ヶ月立て込んでおりまして、
    その後をお知らせできなかったこと、お詫びします。

    「佐藤道博中尉」という表記は、原本を確認したところ、
    やはり誤記で正しくは「斎藤道博中尉」でした。重ねてお詫びします。

    http://aaokinawa.s500.xrea.com/kiji162
    の方に、参考までに原本の写真を掲載しておきます。
    デジカメの性能上、荒い画像ではありますが、新聞掲載当時の雰囲気だけでも感じていただければと思います。

    そして、ここからはお願いなのですが、松﨑様とのやり取りを、
    こちらの方で1ページにまとめさせていただくことは出来るでしょうか。
    書き込みいただいた情報の中には、「これが知りたかった、欲しかった」と
    仰る方が現れるようなものもあると思います。
    もしこの書き込みにお気づきでしたら、お手数をおかけしますがお考えいただければ幸いです。

    返信

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