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地獄の季節 140高地の争奪 一帯しかばねの山

 陣地へもどった田中曹長を、兵隊たちは不審そうにむかえた。

 『どうしたんです? 曹長殿・・・』

 指揮班の兵隊は、とがめるような態度―

 『残念ながら、ひとり逃がしてしまった。・・・あの敵兵の連絡で、あすは一五○高地から猛烈な攻撃をくうぞ』

 曹長の行動の意味を知った兵隊たちは、急に不安がり

 『今夜、きっと敵は、負傷者や死体の収容にきます。そのまえに、息をしている者を全部やっつけましょう』

 これを平野大隊長がとめた。

 『そうまでしなくてもいいだろう。すでにしかばねとなっては、敵も味方もない。生きていても相当の重傷だ。あすは、自分たちもあのとおりになると思えば、敵ながら勇敢だった彼らに敬意を表すべきだろう』

 大隊長のことばに、曹長は同感だった。兵隊たちも、無言で同意し、たおれた敵兵はそのままにした。

 その夜、大隊長命令で各中隊の生存者を本部ゴウに集めた。全員十人たらず。各中隊とも下士官は一人もいなかった。

 五月二十三日。敵の攻撃が激烈となった。敵は一気に一四○高地を占領するつもりらしく、猛攻をくりかえす。

 田中曹長は、こうなることを予知して、二十二日夜、五、六、七はじめ各中隊陣地をまわり、戦死体を敵の方向にむけて守備陣が健在にみえるように偽装した。折れた小銃をゴウの前におき、散乱する鉄ぼうを小銃にくくりつけ、陣地の外見をととのえた。

 だが、午後三時、一四○高地頂上を敵に占領されてしまった。

 平野大隊長、田中曹長ら大隊本部員のゴウは、左右約五十㍍。前後は約百五十㍍。前後は約は百五十㍍。入り口が丘の斜面に二カ所、敵の方向に銃眼二カ所を設け、だいたいH字形の坑道となっていた。

 銃眼口は棚原、幸地部落方向からの砲撃、機関銃射撃をあび、穴がふさがって光りはすこしもはいらない。ただ、北東からの風が、扇風機で3もかけたように冷たく吹きこんでくる。

 田中曹長らは、H字形のゴウの入り口から丘のうえの陣地まで交通ゴウをつくり、ここで終日戦闘をつづけた。

 戦う者は平野大隊長、田中曹長、竹浜軍曹、高田伍長、指揮班の兵隊六人、成瀬衛生曹長と衛生兵一人(ふたりは二十二日夜、新垣部落から応援にきた)

 ゴウ内には、各中隊からの負傷兵約四十人を収容していた。

 さまざまな負傷者だ。腹部貫通でひとしずくの水も口にせず三日間、ただ息をしているだけの兵隊、片腕のない兵隊、目と耳をやられた兵隊、下あごに機関銃をうけ、ものがいえない兵隊など。

 これら負傷兵のはいせつ物や血肉のくされたにおい、火炎放射の油脂の臭気などが、地熱にむされ、さらに火炎放射で焼かれてこの世では想像もできない”地獄の季節”とでも形容すべき状態―。

 〈ああ、気がくるいそうだ。佐藤、黒田、大浦、佐野の各中隊長が、自殺にひとしい突撃を敢行したのも、きっと、この苦しさにたえきれなくなり、気違いのようになって飛び出したにちがいない。

 部下の悲惨きわまる姿。自分に負わされた責任の重さ、この熱と悪臭―正常な精神状態でいられるわけがない―〉

 田中曹長は、疲労と睡眠不足、精神の緊張に、気が狂うか死ぬか―すべてを運命にまかせて戦闘をつづけていた。