宣伝ビラ 皇居拝し、ピストル自決 恋しい妻よ、子よ

 五月下旬の雨の降る夜。山三四八一部隊(工兵第二十四連隊)児玉昶光部隊長(大佐)は半数にみたない部隊員を引率して、大里部落の部隊本部に帰ってきた。首里前線の戦況悪化の結果であった。『高野伍長ッ!』

 前線から帰ってきた中村正男軍医大尉(山口県)によばれ、高野直之伍長(三笠市幌内住吉町四三七)はかけ寄って大尉のくつをぬがせ上着をとりかえた。

 『ありがとう』

 涙声に大尉の顔をふりあおいだ。いままでこらえていた悲しみが、伍長の親切に爆発したような、顔一面の涙だった。

 高野伍長は、間もなく第三中隊(長・江渊隆中尉)に配属になった。ある日、沖縄兵ふたりをつれ、南風原の陸軍病院へ負傷者を迎えにでかけた。

 【歩けない者は自決させよ。歩ける者は全部連れて帰隊のこと】という内命があり、伍長はそのとおり実施したが、なかには、泣いてすがりつき

 『どうかおれもいっしょに連れて行ってくれ。みんなと共に死なせてくれ』といってはなさず、別れのつらさに、伍長ももらい泣きに泣いた。

 二、三日して児玉部隊長以下幹部は新垣部落へ後退した。これが部隊幹部と伍長らとの別れとなった。

 六月上旬、敵は大里部隊へ小銃弾のとどく距離まで接近し、つぎのような宣撫ビラ(降参させるためのチラシ)を航空機からまきはじめた。

 【ドイツはすでに無条件降伏した。負けた原因は、動かぬ戦車、飛ばぬ飛行機である。みなさんが死んだらだれが日本を再建するか。すみやかに投降しなさい】

 【みなさんは大和魂(やまとだましい。日本人としての精神)で勝てると思いますか。なぜ日本軍はガダルカナル以来負けつづけなのでしょう】

 【(”人を助けるビラ”との題がついていて)男は武器をすてて両手を高くあげて出てきなさい。女はそのままの服装でよろしい。すぐにきれいな水とパンと服を与えます】

 【(奥さんが子供の手をひいている絵がかいてあって)君たちは、妻子が恋しくはないのですか。諸君が死んだら諸君の妻子はどうなるか。日本の負けるのはもうすぐだ。早く投降しなさい】

 ビラとともに、敵は戦車を先頭に、大里付近に殺到してきた。工兵部隊本部の陣地は、天然の要塞(さい)ともいうべき安全なものであった。その前面の平地は地雷をうめた地雷原となっており、M1、M4戦車がそれを知らずに進んできて破壊され、残がいをさらしていた。

 六月十五日ごろから、敵との交戦が開始された。日水実上等兵は、ひとりで敵兵を十人以上も殺し、機関銃弾をあびて戦死。本山政勝衛生兵長(室蘭)は与座岳台上で勇敢な白兵戦をやって戦死。石山愛次郎伍長(塩谷村)は沖縄出身兵二人をつれ、前線の江渊中隊長のもとへ伝令に行った帰りに、沖縄兵のひとりが地雷をふみ伍長も重傷をうけた。再起不能と知ると、皇居を拝し、天皇陛下万歳を三唱、ピストルで自決―と生還した沖縄兵から報告があった。

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宣伝ビラ 皇居拝し、ピストル自決 恋しい妻よ、子よ” に1件のフィードバックがあります

  1. 成瀬 真寿美(旧姓:日水)

    こんばんは
    明日の沖縄慰霊の日を思い出し、祖父の名前を検索したところ、【ああ沖縄】に辿り着きました。
    このページの日水実上等兵はわたしの祖父ではないかと思います。

    数年前に職員旅行で沖縄に行きました。平和公園を訪れたのは慰霊の日の前日でした。帰宅後に知ったのですが、その日は偶然祖父の命日とのことでした。祖父に呼ばれたような気になりました。
    今まで祖父のことを知る手立てがなく、何も知らずにいましたが、今回【ああ沖縄】を見つける事が出来たのも、祖父の働きがけがあったのではないかと思います。
    最後の祖父を知ることができ、感動しています。
    復興版ということで資料等も既にないのかと思いつつも、もう少し祖父のことを知りたいと思いました。

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