第三十二軍の編成と作戦 上陸軍に出血戦法 A案にもとづき配備に

第三十二軍は、昭和十九年三月二十二日、南西諸島全域の防衛を任務として編成された。軍司令官は渡辺正夫中将。装備の貧弱な数百人の要サイ(塞)部隊だったが、戦局の悪化にともない、四月一日大本営直轄となった。

五月三日、独立混成第四十四旅団、第四十五旅団が編入された。この両旅団は、軍用船富山丸で沖縄へ向かう途中の六月二十九日、奄美大島沖で米潜水艦の魚雷を受け沈没。四千人の兵員と兵器を失い、辛うじて生き残った宇土大佐以下五百人だけが九月十日、県立名護中学校に国頭支隊本部を設けた。旅団とは名ばかりで、北部一帯と東地区守備に当たった。この事実は秘密にされていた。

五月十五日、第三十二軍は西部軍管下となり、六月二十六日、第九師団(原守中将)が編入になった。六月三十日、さらに第二十八師団(師団長納見敏郎中将)が編入になり、宮古八重山の守備についた。五月七日、サイパン玉砕。七月八日、軍参謀長北川潔水(きよみ)少将が長勇少将と交代になり、七月十一日以降、第十方面軍(台湾)の管下にはいった。

七月十八日には、満州東安の第二十四師団(山兵団・師団長雨宮巽中将・本道出身兵約一万二千人)が編入。同じころ、第九師団司令部、独立歩兵第十五連隊本部が飛行機で到着。七月下旬、北支にあった第六十二師団(石兵団・師団長藤岡武雄中将)も編入になった。

情勢悪化とともに、沖縄住民―老幼婦女子の日本内地、台湾への緊急疎開が開始された。八月八日、第三十二軍司令官に牛島満中将(座間陸軍士官学校長)が交代発令になり、十一日着任した。

八月二十二日、学童疎開船団の一隻『対馬丸』が屋久島付近で、米潜水艦の魚雷を受けて沈没、一千五百数十人のかれんな学童たちが、父や母に助けを求めながら死んでいった。

十月○日、米軍は沖縄上陸を決定、十日には沖縄はじめ付近の島、関西、九州、台湾に大空襲を行なった。十一月二十五日、一番先に着任していた第九師団に台湾転出命令が発令になった。(十二月上旬出発)一個師団を転出で失った第三十二軍は、作戦案(A)を採用した。A案とは、主力を宜野湾(ぎのわん)東西の線以南の島尻南部に配置、その沿岸に上陸をくわだてる米軍にたいし、橋頭堡(きょうとうほ)でぜんめつをはかる。中部嘉手納(かでな)に上陸して南下する米軍にたいしては、首里(しゅり)北方台地で持久出血作戦を行なうというもの。

すなわち、兵力を中南部の丘の地下陣地内にかくし、上陸軍に持久出血戦法をとる作戦で、防衛正面の幅が、守備兵力量に相当しており、地形上有利ではあったが、北、中飛行場を、早めに失う欠点があった。

B案は、北部山岳地帯にたてこもり、北・中飛行場を守る案だが、米軍は山にこもった日本軍を相手にせず、一気に南部平野を占領し、そこを基地として、日本本土を攻撃するだろうという欠点があった。

第三十二軍は、A案にもとづき十一月二十六日、新配備を指令した。

  • 二十四師団(山兵団)=首里南部の小禄(おろく)―具志頭(ぐしかみ)―湊川(みなとがわ)
  • 第六十二師団(石兵団)=首里北方の主力陣地帯(宜野湾東西の線)―波津(はつ)―上原―八五高地―牧港(まきなと)―城間(ぐすくま)―天久(あめく)
  • 独立混成第四十四旅団(歩兵第二連隊欠)=知念(ちねん)半島
  • 沖縄海軍根拠地帯ならびに海軍陸戦隊(司令官太田少将)=小禄地区
  • 軍砲兵団(司令官和田中将)=首里南方地区
  • 海上挺身部隊(司令官梅沢少佐)=慶良間(けらま)列島
  • 賀谷支隊(第六十二師団独立歩兵第十二大隊長賀谷与吉大佐)=島袋(しまぶくろ)地区
  • 青柳部隊(飛行場の三個大隊を基幹とする特設一個連隊・司令官青柳中佐)=嘉手納以北の地区、主として北飛行場
  • 国頭(くにがみ)支隊(歩兵第二連隊主力、司令官宇土大佐)=井川大隊主力は、伊江島守備、国頭支隊主力は、本部(もとぶ)半島守備。

以上、現地徴集の防衛隊員をふくみ地上兵力十五万人。

沖縄は九州から南へ五百六十㌔、百四十からなる琉球列島中最大の島で、“サンゴ礁にかこまれたトカゲのような形の島”とは米記者ボールドウインの表現だ。南北に長く九十六㌔、東西は首になったところで三㌔、広くて十九㌔。面積七百七十六平方㌔、四十三万五千人が住む。狭い地峡から北の山岳地帯が三分の二の広さを占め、森林におおわれている。地峡から南はなだらかな丘陵地帯で、石灰石のどうくつがところどころにある亜熱帯性気温で雨が多く湿度が高い。五月から十一月にかけ、ものすごい台風に見舞われる。

資料の提供をお願いします。

『七師団戦記あヽ沖縄』を完ぺきなものとするため、沖縄戦の記録をお持ちの方、または体験された方、関係者をご存じの方は札幌市大通西四北海タイムス社戦記係(③0131)までご一報ください。

また沖縄戦没者アルバムを作成しますから顔写真をお持ちの方は部隊名(連・中隊)階級、氏名、遺族の住所氏名を明記してお送りください。

 

沖縄戦・きょうの暦

4月3日

第三十二軍は、台湾の第十方面軍から攻撃を指示され、四月六日決行と決めた。米総合参謀本部は、マッカーサー元帥を太平洋方面の米陸軍総司令官に、ニミッツ大将を米海軍総司令官に任命。米上陸軍は艦砲の援護を受け、戦車を先頭に一日三㍄平均で前進中。

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