死傷する島民 すごい機銃掃射 死体にすがり泣く乳児

四月一日以降の戦闘は、上陸地点守備の独立歩兵第十二大隊(石兵団・賀谷与吉大佐)の一個中隊、ならびに特設第一連隊(球兵団・青柳時香大佐)の交戦にはじまった。賀谷支隊は、米軍に痛撃をくわえながら南下して石兵団主力陣地(我如古北方一帯)に後退、特設第一連隊は、戦死者多数を出して退き、残存兵力は、石川岳にたてこもった。

北飛行場を守備していたのは沖縄の在郷軍人約八百人(第五○三特別警備工兵隊)だったが近代装備の米軍の攻撃に全滅した。このころの状況は、石兵団志田上等兵(天久村付近守備)の手記によると―

四月三日、陣地上空には、あいかわらず敵機。きょうは、編隊を組んでいない。おかしいなと思った。グラマンもカーチスも、間隔をおき、わが陣地や天久村上空を旋回している。一機が、急に機首をさげた。胴体からスーッと白い線が二本飛び出した。ロケット弾だ。いれかわり、たちかわりの反復爆撃。すさまじい破壊力だ。弾丸を撃ちつくすと、機銃掃射だ。

逃げまどう村民。避難民が、ばたばた倒れる。連絡兵が、はじき飛ばされる。機銃弾の雨だ。とても救助には行けない。息をつめ、見守るだけだ。米軍機は、全弾うちつくして飛びさった。

静かだ。砲音、爆音など、いっさいの戦争の音がとおのいた。大きく呼吸をし、中田伍長(深川)吉田上等兵(虻田)と一緒に走った。さっき倒れた者は、みんな死んでいる。弾丸のはいった傷口は小さいが、出口は、十㌢大の穴があいている。骨が見えるほどえぐられ、虫の息の者もいる。すごい機銃だ。

「兵隊さん…兵隊さん、助けて…」

民家のほうから女の声がした。三十歳くらいの母親が倒れており、生後七、八カ月の赤ん坊が泣きながら乳房を求めている。

「兵隊さん、この子は、私をいじめて困るんです。見てください。痛いほうの乳ばかりほしがって…」

かくしていた右の乳房を出した。口をあけたザクロだ。手のほどこしようもない。私(志田)は、赤ん坊を、静かに母親からはなした。

爆音がきこえ、機銃掃射の音が迫ってきた。また新手の攻撃だ。母親も赤ん坊も捨てて、そばの木陰へ飛び込み、伏せた。二、三㍍のところを、機銃弾が土煙をあげ、ピチ、ピチ、ピチ……と音をたてて通過する。伏せたまま、上空を見上げた。木の葉のあい間から、敵機の旋回しているのが見える。しぶといやつらだ。いつまでもこうしてはいられない―死にものぐるいでどうくつへ逃げこんだ。

夕方になって、敵機がいなくなってから、さっきの場所へ行ってみた。母親は死んでいた。傷口と変わった乳房に、赤ん坊がすがりつき、血まみれの顔で泣いていた。そばを避難民の列がぞろぞろ通っているが、だれ一人ふりかえる者もない。みんな死の恐怖におびえ、自分のことでいっぱいなんだ。

四月四日、那覇西方洋上十㌔の神山島から長射程砲(米軍は二個大隊二十四門を配備していた)を盛んに撃ってくる。海上には米艦船七、八十隻、嘉手納海岸には、無数の輸送船群が見える。

監視所には私(志田)と斎藤上等兵(北)がいた。小林曹長(夕張)と大槻兵長(室蘭)が指揮班から連絡にきた。

「たいした敵艦だなあ。ますます、ふえてくるようだ。大山市川方面では、十二大隊(賀谷支隊)が、敵と交戦中という報告がきたぞ。いよいよ、われわれも、一線に出る時が近いようだ」

沖を見ながら、小林曹長がいう。その時、高空から急降下する一機の航空機が見えた。キーンという金属音が耳にささるようにひびいてくる。垂直に近い角度。一直線に、急速度で降下。友軍機だ。海面いっぱいの敵艦をめがけ―特攻機だ。ごう沈という、ことばは聞いていた。私(志田)は、はじめてそれを見た。体当たりのゴウ音がひびき、大型巡洋艦がまっ二つになって、海上から消えるまで、何秒もかからなかった。

四月五日、午後七時ごろ第二小隊から佐藤兵長(札幌)と塚本上等兵(北)が伝令できた。「今夜、那覇東方の小禄飛行場から特攻機が出撃する。敵機とまちがわないように―」

九時ごろ、爆音がきこえてきた。低空だ。高度二、三百㍍。赤と青の信号灯を点滅しながら飛んでいる。四機。われわれの頭上を通過するすると、信号灯を消して飛んで行った。間もなく爆発音がきこえ、海上に、まっ赤な火柱が立った。つぎつぎと、四つの火柱が夜の海面を、血のように赤くいろどり、消えた。

四機は、それぞれ、五百㌔爆弾をつけて飛びたった―ということを、あとで聞いた。」

 

◇          ◇

◇資料の提供をお願いします。

『七師団戦記・あヽ沖縄』を完璧なものとするため、沖縄戦の記録をお持ちの方、関係者をご存じの方は札幌市大通り西四北海タイムス社戦記係(③○一三一)までご一報ください。

また沖縄戦没者アルバムを作成しますから、顔写真をお持ちの方は部隊名(連・中隊)階級氏名、遺族の住所氏名を明記してお送りください。

 

 

 

 

沖縄戦・きょうの暦

4月11日

米軍の一部、那覇北方の日本軍要さい陣地に殺到。特攻機の攻撃で米空母、駆逐艦、輸送船の被害甚大。

死傷する島民 すごい機銃掃射 死体にすがり泣く乳児” に1件のフィードバックがあります

  1. 槇泰智

    特設第一連隊長・青柳時香の孫である槇泰智です。祖父の氏名で検索していましたところ当サイトに行き当たりました。
    沖縄戦終結後は数名の部下を引き連れて石川岳中腹で遊撃線を展開していましたが、米軍の奇襲部隊に発見され
    火炎放射器による攻撃を受けて戦死したと聞いています。戦死日時ははっきりしませんが、戦死報告のあった日として公式記録では8月9日が戦死日とされています。
    残された家族は妻、三人姉妹と長男で、私は長女の長男です。母は2年前に死去し、三番目の娘のみが現在88歳でワシントンに居住しています。叔母は自身の人生にも限りがある事を意識してか、最近では生前の祖父・青柳時香についてメール等で語ってくれます。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です