吉岡兵長の死 衝撃で息絶え “貴様の分も俺が…”

 小波津の東方二㌔には、中城湾がある。米艦隊は中城湾から小波津戦線にたえまなく艦砲弾を撃ち込んだ。笹島兵長の第一機関銃中隊は、右側面から艦砲弾をあびながら、墓所の前に陣地を構え、改めてくる米軍に応戦していた。

 機関銃を発射中の笹島兵長の目の前で一瞬、強烈な光りがきらめいた。それきり意識を失った。

 どれくらい時間が経過したかー笹島兵長が正気づいてみると射撃をしていた場所から十㍍ほども飛ばされている。頭には、小石が突きささり、機関銃も遠くへ飛ばされていた。強烈なショックをうけたらしい。だが、頭をおさえ、首をなでてみたがなんの異常もない。

 (俺は死ななかったんだ・・・)大きく息をすいこみ、からだに力をいれて、生きている喜びをたしかめた。

 あたりは、真っくら。人の気配がする。兵長はヤミをすかして見た。十二、三㍍さきに、フラフラしながら歩いている者がいる。近よって見た。吉岡兵長(芦別)だ。

 『吉岡・・・吉岡・・・』

 呼んでも答えない。様子がおかしい。いまの光りと衝撃にやられたらしい。笹島兵長が抱きかかえるのと、吉岡兵長が息たえて、倒れかかるのが同時だった。

 『吉岡、しっかりせッ! しっかりせッ!』

 いくら呼んでも、ゆすっても、吉岡兵長はよみがえらなかった。

 (バカッ! 死にやがって・・・)

 笹島兵長は死のおそろしさ、さびしさが、一度におしよせてくるようで、じっとしてはいられなかった。

 (よし貴様の分も、俺がやる。吉岡、見ていろ)

 敵をやっつけるぞーの思いが、強くわきあがった。笹島兵長は、この時以来、敵弾も死も、もう、おそろしいものとは思えなくなり、いままでの自分ではなくなったような気持ちになった。

 四月二十九日午後六時、転進命令が出た。戦友たちは

 (ああ、また死なねばならんのか・・・)

 口ではいわなくとも、その気持ちを、ことば以上に明確な表情にうかべ、たがいに顔を見合わせている。死線を何度もくぐりぬけた者同士だけに通ずる会話だ。

 午後十時、七六部隊(山三四七六部隊=歩兵第八十九連隊)が七五部隊(山三四七五部隊=歩兵第三十二連隊)と交代のため到着した。笹島兵長ら七五部隊は、午前零時、石嶺に近い平良町に向かって先進を開始した。照明弾があかるく、砲弾が近くでサク裂する。部隊の移動は、敵に知られないよう注意していたが、米軍は、めくら撃ち砲弾を撃ちまくっている。部隊は、四月三十日の朝方、平良町北側の高地を陣地占領し、各隊はそれぞれ夜襲を決行した。

 山三四七五部隊第一大隊機関銃中隊の編成(笹島繁勝さんの調査・敬称略)=(2)=

 多原春雄(札幌北四東十四・四月八日照屋)斎藤光雄(浦河町字向別・五月八日棚原)木村喜代治(札幌北十二西一・五月七日棚原)沢住武雄(江別市字元野幌・五月一日一四六高地)本間堅二(三笠市幌内炭鉱社宅・六月二十七日・座波)平賀俊治(札幌南四西三・四月二十九日小波津)伊藤義也(音江村字音江・五月○日野戦病院)戸松武一郎(札幌白石字原別・五月五日棚原)渡辺直之(三笠市奔幌内五月五日一四六高地)高田友治(札幌苗穂五○○・五月七日棚原)中田昇(札幌豊平一条三丁目十五・五月七日棚原)中野米松(札幌郡篠路村北三十一・五月七日棚原)吉田栄治(新十津川町字上徳富一八二四・六月八日照屋)安田券治(江別市七○六の三・五月一日一四六高地)前田広司(長沼町東一線南十五条・六月二十五日照屋)小早川秀雄(新篠津村第三十八線南四十五・五月○日野戦病院)近藤行雄(東京都板橋区板橋町二丁目一七七・五月八日棚原)篠田米吉(室蘭市中島町二十八号の二十一・五月十二日平良町)広部一雄(札幌平岸字福井三○九・五月七日棚原)森尾猛美(砂川市豊沢一一七・五月六日棚原)沢出忠雄(三笠市幾春別弥生・五月七日棚原)赤塚勇(歌志内市祖梅の沢・四月三十日野戦病院)岩崎宅一(当別村字大沢番外地・五月二十日一四○高地)今井納(札幌琴似発寒一二・五月十八日一五○高地)伊藤光義(門別町字富川町五一・六月九日照屋)猪野毛丘(三石町歌笛七三五・五月三日棚原)小野寺英雄(三笠市奔別・五月七日棚原)万万寿男(美唄市茶志内一○三・五月七日棚原)有元巌(幌加内町字政和・五月二十日・野戦病院)能呂幸花(砂川市南本町二三七・六月○日照屋)中山豊三(長沼町西六線北五号・五月八日棚原)川上肇(広島村島松四二四・四月二十九日小波津)

沖縄戦きょうの暦 6月9日

 米軍、国吉まで進出。日本軍雷撃隊、伊江島飛行場を攻撃。島田知事、警察警備隊の解散を命令。

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