めし 涙を流して食べる 一ヶ月ぶりの米つぶに

 ここ・首里赤田町南側の弾薬ごうの患者収容所は、せまい内部にびっしり患者をつめこみ人いきれで息がつまりそう。ごう内の坑木や手すりの木は、湿気か、汗か、血潮にぬれて、変なにおいをはなってヌラヌラする。

 戦友たちが東風平の炊事ごうから、サツマイモまじりのめしを運んできた。村上友之助軍曹(小樽市真栄町畑十三・現在、小樽市立病院二○六号室に入院中)はたべる気になれない。見ていると、衛生兵たちも自分たちはすこしも食べないで患者たちにやっている。

 『ああ、うめい―うめえめしだあ・・・』

 うれしそうな患者たちの声。なかには涙をながしている患者もいる。

 『俺は、めしというものが、こんなにうまいものとはしらなかった。これで親もとへ帰ったような気になったぜ・・・』

 そのとなりの患者が感慨ぶかげに

 『むりもないさあ、俺たちの胃袋には、ここ一カ月間というもの。米つぶと名のつくものはひとつぶもはいって」いないんだからなあ。一日にカンパンを三ツか、四ツ食って生きてきたんだ。ほっぺたがおちるほどうまい―というのは、こんなめしのことをいうんだぜ』

 ××  ××

 夜になった。トラックがきた。担架隊の兵隊がのっている。彼たちは前線へ負傷兵収容に出発して行った。そのあいたトラックに、衛生兵全員で負傷兵をつむ。すぐ出発。

 〈きょう、これから行く野病(野戦病院)は、どうかすいていますように。患者を収容してくれますように・・・〉

 走りだすトラック上で、村上軍曹のいつもの祈り。

 『俺のところは、もう、こんりんざいはいらんぞ! グズグズいってないで、早くうせろッ!』

 野病の軍医はどなりまくる。気がたっているのだ。どなられたときの悲しい、いらだちは、どこにもふりむけようがない。

 どこの野病も満員。走りまわっているうちに、夜がしらじらと明けかけてくる。間もなく敵機が飛来する。

 〈えーい、どうにでもなれ〉

 村上軍曹は患者をのせたトラックごと西原陣地へひきかえした。

 ここも、ごう内から患者があふれ、入り口付近からくさむらまで、ぎっしりならべられている。砲弾が落下しはじめる。

 機銃掃射がはじまる。患者の積みおろしもそこそこに、地面へ伏せるほかはなかった。

 ××  ××

 国場駅の真玉橋付近は、連日艦砲弾、迫撃砲弾が集中する。死体の上に死体―よくもこんなにと思うほどの数だ。

 なんともいいようのない悪臭がただよっている。ここを通るときは、呼吸をとめて走りぬける。ゴム風船のようにふくらんでいるのは、死後三日目くらいの死体。あとは銀バエが密集、ウジで真ッ白。七日目で白骨。虫葬であった。

 ××  ××

 以下、藤沢克己軍曹(苫小牧市勇払一区)の手記によって、この部隊の戦闘をつづる。

 藤沢軍曹は、沖縄上陸当時、山三四七四部隊(長・吉田勝大佐)第三大隊(長・田川大尉)付衛生下士官であった。のち、喜名臨時野戦病院(喜名国民学校に開設され、十月十日の空襲で付近の山地に退避し、のち閉鎖)に転属。島尻郡東風平に移動。現地徴収初年兵(二十年三月二十五日、山三四七五部隊から防衛召集兵約二百人、女学生二十人を東風平国民学校で受領)を、患者収容所勤務兵として教育した。

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