友軍戦車 全滅目前で六台相次ぎ  『友軍』と叫んだとたん

 伊坂兵長(羽幌町築別炭鉱)らの戦車地雷施設は毎夜つづけられ、敵戦車六台を炎上させた。友軍の戦死者も一中隊の木村一等兵(出身地不明、補充兵)が九日夜戦死したのをはじめ、数十人にのぼった。地雷施設に平行し、切り込み隊も毎夜、各中隊から出撃していた。

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 高野衛生伍長(三笠市幌内住吉町四三七)は、大里部落の陣地についた。留守隊長の安部慶治曹長と無事をよろこびあい、朝まで語りあった。発熱して前線から帰ってきた久野軍医大尉を長に、堀岡上等兵、看護婦五人は、五月十日ころから治療に忙殺された。

 午前中は、各中隊から歩いてくる負傷兵の治療。午後は入室患者の包帯交換。夕食後七時ごろから五人ぐらいを手術し、毎日、寝るのは十二時ごろ。

 弾薬輸送トラックが前線からもどると、必ず負傷兵を運んでくる。その応急手当を終えるのが早くて午前一時、朝の三時になることがしばしば。それでも六時前に起きねばならぬ。寝不足で、すわると眠ってしまうので高野伍長らは立ちづくめだ。大里の人は、よく協力してくれた。また、彼らの治療もしたので、衛生隊は食糧には不自由しなかった。

 木村上等兵が首里で負傷し、後送されてきた。傷がなおり、あす前線へ復帰するとよろこんでいた夜、高熱を出して苦しみだした。負傷兵には、破傷風血清を注射するよう指示してあったので、ほどこしてあるものと思っていたが、していないことがわかり、久野軍医以下全員の看護のかいもなく絶命し、本部前に埋葬した。衛生材料はあまるほどあったし、名医の久野軍医がいたので、負傷兵にとっては幸福だった。その久野軍医が疲労で倒れてからは、高野伍長が重傷者以外は独断で手当てをした。第二中隊長中山四加次中尉、大山少尉(東京)香川文夫軍曹、石田伍長はじめ山三四七七部隊(第二十四師団ガス制毒隊)将兵など、多数が治療をうけた。

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 五月十一日、第一中隊は猛攻をうけて敵中に孤立。兵隊はカンパンをかじって戦闘を継続していた。

 中隊本部から前線へ握りめしをはこぶよう命令された。伊坂兵長ら第一分隊十二人と中村上等兵ら第二分隊十二人は、各自握りめし十二個ずつ、背負い子(せおいこ・ものを背負う道具)にしばりつけた。それを背負う。行くては、艦砲、迫撃砲の雨の中。

 間隔を五、六㍍おいて走り出す。まがりくねった坂道だ。首里城まであと二百㍍の地点へ登ったとき、うしろから戦車八台が、すごいスピードで追いかけてきた。

 『敵か?』

 伊坂兵長は、中村上等兵の汗で光る顔をのぞいた。上等兵も声なく、不安の表情。知らないようだ。

 『友軍だ!』

 だれかが叫んだ。ホッとして一同、道の両脇に身をよせた。通りすぎる戦車の一台、一台に親愛感をこめて手をふる。戦車は一行から二十㍍ほど進んだ。先頭の一台が、突然天蓋(戦車の上の部分)を吹き飛ばされた。敵の砲撃だ。つづく一台も、その次も・・・戦車はつぎつぎと火をふき、あるものは、片方の履帯(りたい・車輪の役目をする鉄のベルト)で、ガケをかけおりる―というより落ちてゆく。砂けむりと炎につつまれた戦車の凄惨な姿。正視していられない。一番最後の一台は擱座(かくざ・破壊されて停止すること)した戦車をよけて、前へ出た瞬間、天蓋を吹き飛ばされた。火炎と黒煙りをあげる戦車のなかから素ッぱだかに赤フンドシ一本、日の丸のはち巻きをしめた戦車兵が飛び出してきた。顔が黒ん坊のように真ッ黒。バッタリ倒れた。全身、大やけどをしていた。

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