糸満の海 まぶしい陽光のもと 俗界の雑事忘れさす

あと六回、十二月二十八日付け夕刊をもって、この戦記も終わる。多くの人命と費用をかけ、日米両軍ベストをつくした沖縄戦の様相を、まがりなりにも報道をすることに重大な責任を感じたが、さいわい、一回の支障もなく、完結できるよろこびに、まず、沖縄に眠るみたまに感謝申し上げる。手記を寄せられた生還者のかたがたにお礼をのべ、たえず、ご声援をお送りくださった遺族のかたがた読者のみなさまに感謝いたします。

十二月一日、社の特別なはからいにより、沖縄巡拝団に特派を命ぜられ、聖地・沖縄に二度目の渡航ができた。十二月六日、金城茂さん=那覇市前島一丁目十二番地、沖縄北海道友の会幹事長=が喜屋武(きやん)の沖合いに船をうかべるという。海上からの喜屋武をカラーフィルムにとりたかった。そこには、山のような岩石が、波うちぎわに乱雑にころがっている。島尻のここまで追いつめられた日本軍、住民は、岩かげにひそんで、生を思い、死を思ったところだ。

この大自然とこの物語り性を、静かに海上からながめるぜいたくを味わいたかった。

小舟は糸満港から出た。勇猛をもって有名な色黒の糸満漁夫たちは、港にならび、雪国育ちの文筆の徒を、奇異な表情でいつまでも見ていた。金城さんと先輩の土建会社の社長さんと記者、船頭の四人は、荒波が舟に飛びこんでくる海上三十㌔を、いったん慶良間列島に向かった。ふりかかる海水は、ぬるま湯のようにあたたかく、舟は上下左右、夢のなかのようにゆれた。エメラルドグリーンの海は、墨汁のように黒く変わり、沖縄の島は海上においたナワのよう。前方の慶良間列島は海上にならべたダンゴだ。泳いでみたい―と思ったが、金城君に心配をかける―と自省し、船内にひっくりかえって、ギラギラまぶしい太陽のもと、目をつぶった。

出発のとき、三田編集局次長が、

『すこしは、たのしんでこい。なんのために沖縄へやるかおまえ、わからんのか? 』

といった。その友情を思いうかべた。

〈いま、糸満沖の海上で昼寝をしているぞ。とてもいい気持ちだ〉

舟は。喜屋武の海へコースをとった。海底がカラーフィルムのように見え波が静かで舟のゆれはなくなった。喜屋武の海岸が、岩石をならべた無愛想なかっこうで、そこに立っていた。

〈おい! きやん! 戦争が終わって二十年もたつというのに険悪な顔をするのはよせよ〉

突然、喜屋武の台地から銃声がひびいた。カモのような鳥が数羽、空へ舞いあがった。鳥撃ちの人かげが、ライターの石くらいの大きさでうごく。

〈銃声であいさつか、きやん! おまえ、なかなか、しゃれてるな! 〉

途端に、海上に爆音。雷族のように白波をけたてて突進してくる一隻のモダンなボート―舟上に鉄のヨロイの人かげ。衝突しそうになって沖の方へ急カーブ。スピードをおとしたボートの上に、ゴム製潜水服の男がふたりいた。糸満ことばでどなる。こっちの船頭もどなる。

『東京の動物園へ送る熱帯魚をとりに行く―といってるんですよ』

金城君の説明に、のびあがって見た。ボートはもう、点となって波のかなたに消えてゆくところだった。

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