血と肉と布片と 爆雷で体当たり めざす陣地にもう米軍

夜の訪れを待っていた歩兵第二十二連隊の各大隊は、十一日夜、行動を開始した。第一大隊は南上原へ。第二大隊は我如古へ。第三大隊は仲間へ。連隊本部も首里から幸地へ前進した。

第三中隊(川島中隊長)は首里で第十一中隊(木口中隊長)に軍旗護衛の任務を引きつぎ、第一大隊(南上原)に復帰のため、夜道を急いだ。

あたりの部落は、残り火がくすぶり、煙がたちのぼっている。焦げくさいにおいが鼻をつく。しきりに、うなりつづけるおびただしい弾丸の音―。その音もさまざまだ。ヒュウンと、鋭い音を残して飛び去るのは至近弾。ビュッ・ビュッと、短い音をたてるのも、からだのそばを通っている。ヒュル・ヒュルと、尾を引いてゆくのは弾着の遠い弾丸。ヒュウ・ヒュウと、長い音をたてるのも、高いところを流れている弾丸だ(第三中隊第三小隊長今井要准尉=那覇市奥武山沖縄護国神社勤務=の説明)

中隊は、西原街道を北上していた。道路に一台の大きな戦車がとまっており、すぐそばの石がきがくずれ、赤ペンキをかけたように、血と肉と被服の破片が散らばり、照明弾の明かりにハエが群らがっていた。ここは沖縄師範、第一中学校生徒で編成された鉄血勤皇隊が急造爆雷をかかえて体当りし、感状を授与、二階級特進されたその場所だという。胸が締めつけられるようだ。

西原村の部落を縫う道を通り、中城(なかぐすく)湾(わん)を眼下に見おろす丘の稜線に出たとき、夜が明けかけてきた。丘の斜面は、雑草が朝露にぬれ、軍靴(ぐんか)の底がすべる。偽装網つけろ―の命令。足元は、すべるし、網を着たので、ますます、からだの自由がきかない。

朝もやにおおわれた湾。朝風が、もやの一部を払う。と、湾に浮く敵艦船の数隻が見える。まだまだ無数に浮いているはずだ。

沖縄現地徴収の防衛隊員は、竹ヤリを天びんにして弾薬、糧秣(りょうまつ)をかつぎ、部隊とともに、丘をのぼっていた。彼らも、足もとがすべるのでよろける。竹ヤリの先で、わき腹を突かれそうになった兵隊が、防衛隊員をどなりつけている。

朝もやが、しだいに薄れる。敵艦船の全容が現われた。艦載機も飛びはじめた。早く丘をのぼらねばならぬ。急げば、すべる。思うようにならない。気がせく。

第三中隊の第三小隊がやっと丘に達し、さらに急な斜面をのぼりかけたとき

「敵だ!」

「待避しろッ」

ピーンと張りつめた叫び、怒声が飛ぶ。緊迫した空気。あわててかけておりてくる兵隊が、のぼる兵にぶつかる。見れば、大隊本部に後続した第一迫撃砲小隊の兵隊だ。空にグラマン、前に敵。行動は寸秒をあらそう。将校も兵も、四方に散り、地形地物のかげにかくれた。

こちらの稜線を越え、さらに前方の丘に、陣地を構えようとしたのだが、そのめざす丘に敵兵の姿を発見したらしい。

かくれて何秒もたたなかった。頭上から迫撃砲弾。たちまち、集中砲火のなかにおかれた。落下する砲弾の雨。休む間がない。とじこめられ、十二日は一日じゅう身動きできなかった。

各隊は、それぞれ、隊員の名を呼び、人員の掌握をするだけだった。夕方、迫撃砲の砲撃がやんだ。見渡せば、すぐ近くに民家が二、三軒。ゴウもある。西に上原部落。人家も多く、石兵団が兵舎を建て、駐とんしていたところ。その北方一㌔の南上原一六五高地を石兵団が守備し、わが第一大隊は、ここで、米軍を迎え撃つ作戦だったのが、米軍は、もはや、そこまできていたのだ。

しかたなく、第一大隊は一六五高地の南部で石兵団(岡田中隊)と交代、高地奪回のため、日没とともに、前衝拠点の確保が第二中隊(長・宮﨑中尉)に命ぜられた。

この日の第二大隊(平野少佐)の行動は、朝、宜野湾村(ぎのわんそん)の東方高地に進出した。

守備する石兵団は兵力が少なかった。米軍は、戦車十五、六両を基幹とする有力部隊。石兵団を三方から猛攻、高地を米軍に奪われる寸前、第二大隊が到着、すぐ配置についた。陣地を整えるいとまもなく、早朝から夕方まで激戦を展開、敵中に孤立していることも知らなかった。

◇資料の提供をお願いします。

『七師団戦記・あヽ沖縄』を完璧なものとするため、沖縄戦の記録をお持ちの方、関係者をご存じの方は札幌市大通り西四北海タイムス社戦記係(③○一三一)までご一報ください。

また沖縄戦没者アルバムを作成しますから、顔写真をお持ちの方は部隊名(連・中隊)階級氏名、遺族の住所氏名を明記してお送りください。

 

沖縄戦・きょうの暦

4月15日

日本軍特攻機百六十五機をもって菊水三号作戦開始。

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