母の名をよぶ “ああ、最後だなー” すべてが遠くへ

 佐藤武夫分隊長(釧路市南大通六ノ二二)は黒人兵を監視しつづけた。黒人兵は、一度、キャベツとりに姿を現したきり、出てこない。攻めてこない米軍と向きあったまま夜になった。

 伊藤小隊長と三年兵(氏名不明)が、ヤミにまぎれ敵状偵察に出発した。小隊の全員が無事を祈りつづけたかいもなく二人はついに帰ってこなかった。

 五十嵐吉之助曹長が小隊の指揮をとることになり、敵状偵察のため、タコツボの丘の上へ登った。とたんにソ撃弾をうけ、ころがり落ちてきた。

 『残念・・・無念だ・・・』

 重傷の五十嵐曹長は、苦しそうに叫びつづけ、最後に、天皇陛下万歳を三唱して息をひきとった。

 佐藤分隊長は、この日以後、何人もの戦死者をみた。そのほとんどは『おかあさん』と叫び二、三のものが、母以外の人の名を呼んで死んでいった。

 〈五十嵐曹長だけが、天皇陛下万歳と叫んだ。りっぱな軍人らしい最期だった〉曹長の戦死は、分隊長の脳裏に強く焼きつけられた。

 その夜(五月四日)突撃命令がおりた。小隊長に橋津正太郎軍曹が任ぜられ、小隊長以下全員、鉄帽、偽装網をつけて集合した。遠雷のように敵弾がとどろく。遠い稜線で砲弾のサク裂する火花が、血のように赤い。

 伊藤第一大隊長の最後の訓示が行われた。

 『諸士らは、いま、重大な任務をもって出発する。前方の敵を突破していただきたい。諸士らが血路を開くのを待って、わが軍は総攻撃を開始する。この名誉ある戦闘に参加する諸士らは、しあわせである・・・』

 伊藤中隊長からも『すでに死は覚悟していると思う。軍隊手帳、その他所持品いっさいは穴に埋めるよう。敵に機密がもれないように処置せよ。成功を祈る。これより御下賜品を渡す・・・』

 飯ごうのふたにつがれた清酒が、兵隊間をまわし飲みで次々に手渡しされた。つづいて、火をつけたタバコが手送りされてきた。

 佐藤分隊長は極度に緊張していた。はだ寒いような、頭の先から足先まで締めつけられるような、なんとも言いようもない心境―。

 〈いよいよ、最後の時がきたな〉

 酒を飲み、タバコを吸う。終わった兵隊たちは、黙々と軍隊手帳、手紙、写真、その他の私物品を穴にうめている。だれ一人、ものをいう者はいない。

 佐藤分隊長は、体内の酒の酔いが、だんだん、大きくなってゆくのを感じた。神経がにぶくなる。緊張感は薄らぎ、涙がでてきた。

 『出発!前進ッ!』

 耳に鋭く号令がひびく。めざす視界は、涙でかすんで、夢まぼろしの世界のよう。そこへ向かって、思い切った祭一歩を踏み出した。一足ごとにいっさいが遠のいてゆく。なにもかも忘れ去られてゆくようだ。ただ存在するものは、これからの戦闘だけ。

 大きな岩山のふもとについた。橋津小隊長が佐藤分隊長を呼ぶ。第二小隊(長・小畑重計少尉)は、山の上の方を攻撃。第一小隊(長・伊藤少尉)はふもとを攻撃することになっていた。畑つづきのがけ下に敵がいる。地形偵察の任務をもつ佐藤分隊長は、兵二人を連れ、右側の斜面を畑のミゾづたいに登る作戦をたてた。

 まず、兵二人は、下に待たせた分隊長がはいあがっていった異様に静まりかえった地面が、照明弾で明るく照らし出される。十㍍ほどのぼったとき至近距離で敵弾がサク裂、すばやく伏せる。あたりをソロソロ見回した。敵兵の姿はない。ほふくして進む。ふたたび、二、三発が身辺でサク裂した。

 分隊長は、自分の行動を敵兵が監視しているのに気がついた。伏せたまま、もう一度、あたりを見回した。瞬間、目の前が強烈に光った。頭に強い衝撃。目がクラクラして、外界のすべてがツーンと遠くへ去ってゆくような感じ

 〈ああ、最後だな〉

 佐藤分隊長の意識は、ここで消えた。

 戦記係から 二日付けで現金書留め(一千円)が、美唄市南六丁目、山本実さんから本社に送付された。文面によると差出人は山本氏の奥様で山本氏は満州第二七○部隊第二大隊本部服藤隊第一小隊第二分隊の一員として満州から沖縄移動のために下関に到着したが、作業中の事故で重傷を負い、沖縄へは行かれなかった。六月二十一日(日)午後二時から沖縄在住の北海道友の会の人々が慰霊祭を施行することなので、お花の一本でも戦友の霊にささげてほしいーとあった。

沖縄戦きょうの暦 6月5日

 米軍小禄飛行場攻撃。

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