半田上等兵自決 無残、血まみれ “生きていたかったろうに”

 長浜上等兵は、興奮と緊張で全然ねむれず、夜があけた。四月三十日米軍の砲撃が始まる。きのうにまして激しい。

 第二小隊長高橋少尉(函館)が村上軍曹(小樽)をつれ、各分隊を巡察している。

 『なにか食べたか?』

 たずねられた長浜上等兵は、元気よく答えた。

 『はい、カンメンボウ(カンパン)を一袋たべました』

 そして、つけくわえて

 『あと、二袋分しかありません』

 村上軍曹のけわしい顔に、かすかに笑いがうかんだ。

 『長浜、お前まだ生きているつもりか?』

 意外そうなその声に、みんなも笑った。軍曹は、寂しそうなえがおで、みんなを見回した。長浜上等兵はむきになった。

 『班長殿、米のめしをくわずにこのまま死ぬんですか?』

 村上軍曹の顔から寂しさが消え、食料補給を約束した。それから態度をひきしめ

 『今夜あたり、敵戦車がやってくるかもしれないから、みんなそのつもりで準備してくれ』

 一同にいい渡して立ち去って行った。小学校教員だったという高橋小隊長は、軍刀を肩にななめに背負い、片手に拳銃を握っている。活発にカッ、カッ、カッ・・・と歩くうしろ姿が勇ましい。

 (むかしの若武者みたいだなあー)

 長浜上等兵は、その姿にたのもしさを感じた。この小隊長も村上軍曹も、兵にとっては思いやりのある、やさしい上官だった。

 午前十一時ころ、戦闘中の長浜上等兵のところへ、フラフラしながら平館栄一等兵(渡島支庁管内)がやってきた。負傷してタコツボへ入れておいたのに、真っさおな顔で、いまにも倒れそう。

 『どうしたんだ?』

 『半田(国一)上等兵殿(函館)が、自決するから、出て行けと追い出すのであります』 

 二人は同じタコツボにはいっていた。長浜上等兵は不吉なものを感じ、タコツボへ走った。半田は、穴の中でうつぶせになって死んでいた。手りゆう弾自決。血まみれの遺体が無残だった。

 『半田上等兵殿は三十分くらいも、じっと、目をすえて考えこんでおりました。気がヘンになったみたいでありました』

 函館の留守宅に、妻と三人の子供を残して召集した半田。

 (生きて、帰りたかったろう。ー)

 長浜上等兵は、平館一等兵のことばに耳をかたむけながら、そう思った。

 (半田は、生きていたかったのに違いない。だがこの激戦だ。自分のようなものが生きていては戦友たちの迷惑になると考え、どうにもならぬ気持ちで、自決の道をえらんだのだろう。かわいそうなことをした)

 涙が流れた。平館一等兵も泣きだした。

 『上等兵殿・・・平館がお世話するというのに、なぜ聞いてくれなかったんですか・・・』

 ××  ××

 米軍は、木口中隊の三倍以上の兵力を交代させながら、肉薄攻撃を繰り返す。木口中隊は休む暇がない。長浜上等兵らのところから二十㍍くらい離れ、重機関銃の一個分隊(長・三浦伍長=函館=以下八人)が、敵を猛射していた。三時ころ、米兵約六十人の肉薄攻撃を受けた。木口中隊の第二小隊は約三十人で応戦、重機分隊も、死にものぐるいで撃ちまくっていたが、その銃声がピタッとやんだ。長浜上等兵が、振り向くと、敵の手りゆう弾が、重機分隊でサク裂、二、三人が倒れるのが見えた。負傷した兵は、手りゆう弾を投げながら後退してゆく。彼我のテりゆう弾戦となった。

沖縄戦きょうの暦 6月21日

 午前十時三十七分ニミッツ元帥は、沖縄における日本軍の抵抗は中止したと発表。午前一時、日本軍は残存兵力と学徒隊によって最後の総攻撃を敢行。

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