樫木大尉の手記(4)慶良間列島 爆煙、全島おおう 米軍空襲、艦砲を開始

 (ハ)六ないし八個師団以上のニミッツ軍は、比島以外に使用するか、時として比島に一ないし二個師団を使用することがある。

 (ニ)別に新六個師団を有しその使用方面は戦況によるがそのなかに海兵五ないし七個師団で空挺若干を有するのは注目すべきである。

 七、米軍の配備状況=ルソン七個師団(ニ三D、四三D、三七D、四○D、ND、ND、一五八I)レイテ八個師団(一KD、九六D、七D、二四D、三二D、七七D、ND)=うち三個師団はルソンに使用するものの如し=ミンドロ一個師団(ND)ビアク二個師団(四二D、ND)モロタイ一個師団(三七D)ポーランテア、アドミラルデー四個師団(四一D、一○五D、七五D、ND)ワクデ一個師団(AD)空挺師団、東部および南部ニユーギニア八個師団(ND、ND、三D、五D、六D、七D、九D、一一D)ソロモン八個師団(二五D、三八D、九八D、九五D、AD,NZD,ND,ND)ニユーカレドニア三個師団(二三D、ND,ND)

 以上マッカーサー軍計四十二個師団、うち六個師団はオーストラリア。

 以下、ニミッツ軍十四個師団=グアムニ・五個師団(N三D一B、ND)サイパン三個師団(二七D、N二D、N四D)ベリリユー二個師団(八一D、N一D)マーシャル四個師団(一二D、六一D、一○六D、N五D)ハワイ二個師団(六九D、ND)ギルバート一個師団(不明)両軍総計五十六個師団。

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山兵団将兵は、米軍の状況を以上のように伝えられ、米軍の沖縄上陸を予期して将兵一体となって準備をいそいだ。

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 二十年三月二十一日朝、米軍は空襲を開始、一日中つづいた。将兵は草ぶき兵舎を出て、構築した陣地につく。

 空襲は二十二日も続いた。二十三日朝、米艦隊は、島尻の西海岸に、島を包囲する隊勢でならび、艦砲、空襲の猛撃をあびせた。

 本島の西南方約三十㌔の海上にある慶良間列島と本島とは、米艦隊によって完全にたちきられた。島の周囲に、上陸用舟艇が増加するのが見える。しかしそこは日本軍砲兵の射程距離内にはなかった。本島には、米軍の一方的な艦砲射撃と空襲がつづいた。

 陣地周辺の兼城、座波部落はみるみるうちに焼土となり、人畜の焼けこげるにおいが、陣地に流れこんでくる。

 部隊本部との電話線は、毎日萩生通信中隊(長・萩生秀吉中尉=旭川出身)が修理していたが、遂に追いつかなくなり、無線機を使用することになった。

 二十六日、慶良間列島に米軍の急降下爆撃が始まった。全島が爆煙で見えなくなる。時々、空に火花が散るのは、日本軍高射砲の応戦らしい。友軍機が来攻して空中戦が展開されるのを祈ったが現われず、ただ傍観しているだけだった。

 夜になると、米軍機は飛行をやめ、艦砲射撃だけがやすみなく続いていた。時々、赤い翼灯をつけた特攻機が、爆音とともに現われ、米艦船が火柱をあげて沈んだ。また特攻機が米軍の高射砲をうけ、火をふきながら海に沈む光景をいくどとなく見た。

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