故郷を思う 夢で我が家へ帰った 死を予期する兵たち

 戦死者で、死ぬ前に故郷の夢をみた―といっていたのは、相馬兵長ひとりではない。佐藤軍曹(小樽市緑町六丁目)と後藤伍長(北見市)は、夢で見た故郷の話を菖蒲伍長にしたつぎの日、命令受領を命ぜられて出発。部隊本部からの帰途戦死した。

 菖蒲さんは、せめてふたりから聞いた話だけでもと遺族を捜したが、いまだにめぐりあえずにいる―と書いている。

 現役で入隊した杉本上等兵(磯谷)は菖蒲伍長の当番兵でこまかいことに気のつく鉄道員だった。満州出発以来、伍長のそばをはなれず、激しい戦闘を忠実に戦いぬいていた。

 五月中旬、平野大隊長を中心に生き残りの将兵五十四、五人は、陣地を死守していたが、食糧、弾薬はなく、死傷者続出で、大隊の全滅は目の前に迫っていた。

 その朝、杉本上等兵は、なにげない口調でこんなことをいった。

 『班長殿、杉本もゆうべ家へ帰った夢を見ました。きようは、かならず戦死すると思います。あとをよろしくお願いします』

 あっさり死別のあいさつをいわれ、伍長は妙な気がした。

 『なにをいうか杉本・・・死ぬときは一緒だぞ』

 とは、いってみたものの、この激戦である。そんなことは自分でも信じられないことだった。

 すでに両側の陣地は、米軍に突破され、平野大隊の陣地の後方二百㍍の地点には、日中、堂々とM4戦車二台が現われ、砲撃をあびせている。反撃したくても、大隊本部にも、部隊本部(運玉森)にも戦車攻撃用爆雷がない。

 このままならば、敵は、平野大隊にとどめを刺すため、肉薄攻撃をしかけてくることはあきらかだった。そこで、地下ごうの上から散兵ごうでつながっている約五㍍さきのタコツボにはいり、敵の進攻を監視しなければならなくなった。

 大隊長命令で菖蒲伍長、寺田兵長、杉本上等兵、通信隊の上等兵がえらばれ、四人は監視位置についた。

 監視位置から大隊長にあてた無線連絡が米軍にキャッチされた。杉本上等兵を、左後方百㍍の機関銃(小斯波)中隊へ走らせた。

 彼が出てゆくのと、敵の砲弾がはじまったのと同時、直撃弾がサク裂し、菖蒲伍長は暁兵団の少尉、無線兵らとはね飛ばされた。

 気がついたとき、寺田兵長から口うつしに水を飲まされていた。伍長は、杉本上等兵には、なんども助けられている。その姿が見えないのに不安を感じた。

 『杉本は・・・』

 まだ帰らぬという。からだが痛んでいた。はってさがしに出た。

 〈動作の敏しような杉本。横から不意の射撃も逆に撃ってくれた。飛んでくる手りゆう弾もさけてくれた・・・どうか生きていてくれ・・・〉胸をしめつけられるような親愛感。散兵ごうをはって行き、うつ伏せになって倒れている杉本上等兵を発見した。前進無傷、顔色正常、眠っているような戦死体。死んだとは思えない杉本上等兵に土をかけ、めい福を祈った。

 ××  ××

 戦後、至近弾によるショック死―と杉本上等兵戦死原因がわかり、寿都町磯谷の遺族を訪問した。おかあさんは

 『あの子の夢を見ました。からだに傷をおわずに戦死した。そのうちに、ぼくに土をかけてくれた戦友がきて、話を聞かせてくれるから、聞いてほしい―という夢でした』

 『魂の存在を信じないわけにはいかなかった』―と菖蒲さんは手記に書いている。

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