総攻撃計画 米軍背後で逆上陸 たのみは空軍の支援

 五月二日、首里の第三十二軍司令部は作戦会議を開き、山兵団(第二十四師団・雨宮巽中称以下約二万)を主力として、五月四日午前五時を期し、総攻撃を行なうことを決めた。

 その攻撃計画によれば、山兵団は三個連隊を第一線にならべて前進する。山三四七六部隊(歩兵第八十九連隊・満州では七八○部隊、部隊長金山均大佐、原隊は歩兵第二十八連隊おもに旭川、釧路連隊区出身者で編成されていた)は、第一線の右翼(東海岸側)となり、午前五時に米軍(第七師団)の正面を突破、日没までに南上原付近の高地に到着すること。

 山三四七四部隊(歩兵第二十二連隊・満州では八八部隊、部隊長吉田勝中佐、原隊は歩兵第二十六連隊、おもに函館連隊区出身者で編成されていた)は、第一線の中央・翁長および幸地部落付近に展開、両翼部隊の進撃を支援する。

 山三四七五部隊(歩兵第三十二連隊・満州では八○三部隊、部隊長北郷格郎大佐、原隊は歩兵第二十七連隊、おもに札幌連隊区出身者で編成されていた)は、第一線の左翼(西海岸側)となり、前田部落南東地区の米軍(第七十七師団)の戦線を奪取し、夕刻までに棚原部落西方の諸高地を占領する。

 第二十七戦車連隊は、米軍第七十七師団の戦線を突破し、幸地部落西方にに進出して、山七五、山七四両部隊の攻撃を支援する。

 球兵団(独立混成第四十四旅団・長・鈴木敏二少尉)は五月三日、首里の北西地区へ移動、米軍(歩兵第三十二連隊)の攻撃にたいして準備し、つぎに南方に進撃、米軍(第一海兵隊)を孤立させ、石兵団(第六十二師団・長・藤岡武雄中称)の支援をうけて、これを全滅する。

 第五砲兵団(長・和田中称)は全火力をもって友軍の攻撃を支援する。五月三日から四日にかけての夜間、いままで隠してあった大砲、きゆう砲、曲射砲は、ひそかに砲撃陣地につくこと。海軍陸戦隊もこれに参加する。

 (米軍の主力=第二十四軍団=陣地の側面を攻撃する計画もたてられた)

 五月三日の夜、船舶工兵第二十六連隊(暁一六七四四部隊)の主力は、各種上陸用舟艇、小舟、現地人のサバニ(漁業用くり舟)をもって、西海岸の米軍(第一海兵師団)の背後に逆上陸する。

 この逆上陸を支援するため、第二十六、第二十八、第二十九海上特攻隊員のうち約七百人で敵戦線へ切り込みを敢行する。

 東海岸にたいしては、船舶工兵第二十三連隊(暁一六七四一部隊・長・大島詰男少佐)の約五百人をもって攻撃を行ない、第二十七海上特攻隊は、米軍(第七師団)戦線の後方、津覇部落に逆上陸を企図する。両部隊とも米軍戦線の後方にもぐり込み、手りゆう弾と携帯火薬で、米軍資材を破壊する。

 特攻隊は、すくなくとも百人が合同しなければ、まとまった攻撃を行なわない。もし計画がうまくいったら、両部隊は、沖縄本島の中央付近に集結し、山兵団の攻撃前進を支援する。

 この総攻撃実行のため、日本本土と台湾から飛行機の支援をうける。五月三日夕刻、九州基地出発の爆撃機は、読谷、嘉手納飛行場を急襲、米軍用機を攻撃する。神風特攻機は、米軍の陸上作戦を支援している米第五十一任務部隊の米艦船を引き続き攻撃する。

戦記係から 七師団戦記・『ノモンハンの死闘』の予約出版受け付け中です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です