橘少尉らの自動車部隊は、首里前線からの負傷者輸送をはじめた。毎夜、どろにうまりながら数百人の負傷者をトラックにのせ、後方の野戦病院へはこぶ。
野病はどこも満員。入り口からあふれ、野天に、サトウキビをかけておいてある。
〈戦争とは、こんなにも悲惨、残酷なものか・・・〉
橘少尉は”地獄””神の存在”を目の前に見る思いがした。そのうちに、けがをした者は死ね―とう命令を耳にした。
〈これでいいんだろうか・・・〉
心の底に砂のようなものが残った。
× ×
五月二十九日、橘小隊は首里撤退作戦に出動していた。朝、八重瀬岳の中隊陣地に帰隊した少尉は、また命令をうけた。
〈橘小隊は、昼間輸送に従事すべし〉
昼間の輸送は、全員の死をまねくだけだ。少尉は、そのむねを申し入れた。
〈損害を覚悟のうえで敢行すべし〉
ふたたび命令である。損害は最小限にくいとめねばならない。各トラック間を百五十㍍くらいあけて進行した。
砲弾のなか、死を覚悟しての輸送。奇跡的に輸送任務を完了して、中隊陣地へ、あと二㌔くらいの地点にさしかかったとき、敵の“トンボ”に発見された。
そこは、八重瀬岳にはいるSカーブ。自動車部隊のうえに迫撃砲弾が集中した。最後尾の車にのっていた少尉と伝令・畠山上等兵(礼文)は危険をさけるべく、車から飛びおりた。ふたりとも、鉄カブトに被弾片の小さな穴があいている。のっていたトラックは穴だらけでハチの巣のよう。
第一分隊長川上軍曹が負傷したほか十数人の戦死者がでる。そのひとり立松上等兵は、きずから破傷風となり、のち戦死した。
〈命令とはいえ、こんなに犠牲者をだし、まことに申しわけない。勇敢であった戦友諸士のめい福を祈る〉
生き残った少尉は、部下の戦死に深く頭をたれた。
× ×
六月七日、橘小隊は八重瀬岳の陣地を撤退。真栄里陣地に後退した。
神原曹長(新十津川)は少尉の初年兵時代の班付き(その内務班に属する下士官)で、おとなしい人であったが、真栄里付近で戦死した。六月十三日、少尉に命令があった。
〈全車両を指揮し、野戦倉庫から軍司令部へ弾薬その他の物資をはこぶべし〉
敵は、八重瀬岳の南方四㌔にせまっている。砲弾しきり。そのなかをくぐり、八重瀬岳ふもとの野戦倉庫へ決死の覚悟で走った。