老上等兵 よく戦ってくれた・・・残りも少なく隊は解散

 星空を見上げながら敵戦車を待つ―いくら待ってもこない。兵隊は陣地に引きあげた。

 二十日、敵戦車十数台を先頭に、そのすぐうしろに敵歩兵、さらに、五、六百㍍後方に一列横隊にならんだ米兵が、たばこをふかしながら攻めてきた。

 橘小隊は、このドウクツ陣地で玉砕しよう―と全員戦死を誓いあう。

 敵兵は橘陣地の右から与座岳へのぼろうとしている。

 第一分隊長川上軍曹は宮武上等兵以下数人をつれ、軽機一丁をもってゴウから出ていった。つづいて八代兵長(分隊長代理・札幌)も兵をつれて出てゆく。田中上等兵は爆雷をかかえみんなの見ているまえで戦車に体当たりした。

 工兵隊からの肉薄攻撃班が続々と出動。交戦状態となる。

 『川上軍曹戦死ッ!』

 『八代兵長戦死ッ!』

 悲報が陣地ゴウにはいる。敵戦車三台は動かなくなり、ほかの戦車で引っぱっている。一日じゆう、めしをくうひまもなく戦闘をつづける。夕方、敵は戦車とともに後方へさがっていった。

 〈きようは終わった、あすだ・・・〉

 少尉が一息いれたとき、中隊から命令。

 『台上の敵軍を夜襲すべし』

 与座岳山上は米軍に占領されてしまっている。夜襲要員は中隊の縦ゴウから夜襲をかけようと、二、三人ずつ移動する。

 小隊の縦ゴウに射撃手を三人おき、敵をねらい撃つ。米兵が倒れると、敵は煙幕をはり、倒れた者を収容してゆく。その態度は、人命を尊重してヒューマンであるというだけでなく、火器にたよって合理的に戦う近代戦をやっていた。

 鈴木中隊長は残りすくない部下を集めた。みんなで一緒に死のう―という。

 二十一日、今井伍長(小樽、早稲田大学卒)が、真っ昼間、部隊本部から敵の重囲を突破して中隊にやってきた。彼は橘少尉と一緒に入隊して乙幹になった人だ。

 『金山大佐殿が、軍旗を焼いて自決しました

ッ』

 少尉は、砲弾のなかを突破してきた今井伍長の勇気と沈着な行動、その責任感に感心した。

 伍長は、金山大佐の命令を伝えた。

 『全軍の将兵が、よく奮戦したことを謝すとともに、このままここで自決するか、それとも戦局が有利となって、友軍が逆上陸することも考えれれるのでそのときまで地下にもぐり、別動隊となって最後まで戦うか、それは各自の自由である・・・』

 金山部隊長の意見について、鈴木中隊長以下将兵は熱心に協議した。

 結論として、国頭地区久志村部落を集合地点として、今夜、指揮班、第一、第二、第三小隊の順序で、三、四人が一組となり五分おきに陣地を脱出することが決められた。

 『ただし、中隊は敵の重囲のなかにいるので、それぞれ各組の責任において行動すること。それまでは中隊を解散する』

 と鈴木中隊長は命令し、各人にカンパン一袋、手りゆう弾数個を配給した。

 午後六時すぎ、まず指揮班が脱出。橘少尉(広尾町)は同郷の林喜三郎上等兵のそばによった。

 林上等兵は中隊一の年長者で第三小隊員。手は迫撃砲の破片で負傷していた。少尉は、老上等兵に包帯をしてやりながら

 『元気でな・・・』

 と脱出成功の祈りをこめてささやいた。

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