死と対決 休まぬ米軍の攻撃 じっとタコツボにひそむ

 田中曹長は、対空遮蔽作業で部隊をかくすことを大隊長に報告。大隊長はこの処置をよろこび、さらに偽装を完全にすること、天蓋部をできるだけ厚くすることを命じた。

 午前七時ころから敵の砲撃がはじまった。田中曹長と有線電話手、当番兵の三人は、大隊長から五㍍ほどはなれたところに穴を掘ってはいった。穴の上に部落からはこんだ畳二枚をのせそのうえに土を二十㌢ほどかぶせ、偽装網、イモづる、雑草などをはわせた。前後左右に横窓をあけ、敵の来襲を監視しながら、頭上でサク裂する砲声に息をつめていた。

 きのうから一睡もしていない。砲爆音を耳にしながら眠気におそわれる。至近距離に、しきりに砲弾が落ちる。土がくずれ落ち、三人とも下半身が埋まってしまう。

 敵機の様子をうかがいながら穴の修理をはじめる。頭上で砲弾サク裂。その破片が、田中曹長の腹に命中、思わずうめいた。破片は二枚がさねの畳がずれて、一枚になっているところを突きやぶったのだ。おそるおそる腹に手をあててみる。運よくちょうど帯革(たいかく)のうえにあたっていて負傷はなかった。

 穴のまわりの横窓となっているすき間からのぞくと、たえまなくサク裂するりゆう散弾で、地上百㍍の上空は黒煙におおおわれている。一分の休みもなく撃ちまくる敵の砲兵陣に第二大隊はタコツボにひそんだままだった。

 〈あれは、あさの八時ころだった。五十年配の気違いか、夢遊病者のような男が、翁長部落方向からこの敵砲弾のサク裂するなかへフラフラと歩いてきたが、あいつがスパイで、われわれ第二大隊が、この斜面一帯にかくれひそんでいることをなにかの方法で敵に知らせたのではあるまいか? それで、こんなにしつこく激しく砲撃するのではないだろうか?〉

 死神にとりつかれたような時間―その推移のなかで、曹長は目前に迫る不気味な死と、じっと対立していた。

 正午ごろ、いままでの攻撃命令に変わって、現陣地を確保せよ―と新命令が伝えられた。

 第二大隊は第三(田川)大隊の左側に位置し、敵方向にL字型になっている丘に五、六、七の各中隊を配置した。大隊本部は一四○高地に位置し、本部の右五十㍍のゴウに配属工兵、左には、山三四七六部隊の改編重機関銃中隊、その左に第二(佐藤)機関銃中隊、一五○高地近くに大隊砲、迫撃砲の陣地をかまえた。ここで第二大隊は、五月五日から二十四日まで、第一大隊と第三大隊が全滅してもなお陣地を死守しつづけたのである。

 第二大隊の各中隊は、豊見城、宇栄田、伊良波、翁長、保栄茂(びん)我那覇の各残置隊から軽傷者、病弱者の全員をこの第一線にかりだし、各中隊は約五十人、合計約百五十人の人員が陣地にたてこもり、多くの戦死傷者を出しながらも、ここを守りぬいたのである。

 佐野壮一中尉、大浦真治中尉、黒田中尉の各中隊長は、いずれも身に数弾をうけながら、戦列をはなれず、下士官が中隊長代理となって、ここ・一四○高地から幸地部落西方につらなる丘の陣地から一歩もさがらなかった。大隊の右前方約七百㍍にははじめ苦戦中の第一大隊がみえた。その戦闘が日ごと敗色を濃くしてゆくのをみながら、第二大隊は負傷兵といえども後送されることもなく、戦死体にも銃をもたせ、血みどろの死闘をつづけたのである。

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