独断 指示のない不安 滞空遮へい工事実施

 山三四七四部隊第二(平野)大隊は、石兵団退却えん護の任務を終えるとすぐ連隊の指揮下にもどった。

 第二大隊は、幸地部落西南の一四○高地から左へ展開して陣地配備についたが、五月四日、つぎの任務を与えられた。

 〈わが第一線攻撃部隊が、敵の第一線陣地を突破すると同時に、平野大隊は夜襲をもって棚原部落を攻撃、夜明けまでに同地を確保すべし〉

 この任務達成のため、第二大隊は指揮下の各隊のほかに、工兵一個中隊、独立機関銃一個中隊、連隊砲一個小隊、第二十七戦車隊(十二台)などの配属をうけた。

 幸地=棚原の線は、第二大隊が第一線に進出して以来、三十日間ずうっと苦戦をつづけたところである。

 とくに棚原部落は、第二大隊が、つい二、三日前まで戦闘したところだったので兵隊は地形をよく知っていた。参謀部や連隊長の今回の措置は当然である―と、田中松太郎曹長(札幌郡広島村)は思った。

 いよいよ五月四日。薄暮攻撃の第一線部隊に接近するため、第二大隊は指揮下の各部隊を、一四○高地、一五○高地から東方一㌔の丘へ前進させた。そこからは東海岸が見えた。

 大隊長は、戦況を握して、第二大隊の攻撃部署をきめるため、第二機関銃中隊長佐藤中尉副官、伝令の三人をつれ、第一線の攻撃部隊と先発。大隊各隊の誘導は、田中曹長に命令された。

 曹長は夕暗のなかを、大隊長に命令された地点・幸地部落に近い丘の斜面まで各隊を誘導し、そこで大隊長からの前進命令を待った。

 午後九時になった。大隊長からは、なんの連絡もない。第一線陣地からは、大砲、機銃の音が、こやみもなくひびいてくる。待機中の曹長ら第二大隊員の身辺に小銃、機銃のタマがブスブスつきささる。死のおそろしさと、指示のない不安が身に迫ってくる。

 〈どうしたのだろう?〉

 夜中の十二時になった。ついに平野大隊長は帰ってこない。

 〈薄暮攻撃は失敗したな?〉

 田中曹長は各隊の命令受領者を集めた。

 〈各隊は、夜あけまでに対空遮蔽工事(しゃへい・飛行機からの攻撃をさけるための工事)を実施せよ〉

 曹長の命令は、つぎの判断によるものだった。

 〈現地点は、地上の敵軍からは死角になっている。しかし右側の中城湾方向からはまる見えだ。このまま朝をむかえれば全員が飛行機と中城湾からの艦砲射撃でみんなやられてしまう。夜襲準備の地点は、ここからさらに一㌔も前方である。強行夜襲をするにしても、十二時までには攻撃準備地点に到着していなくては、夜襲の成功はおぼつかない。そのことは大隊長も、よく承知のはずだ。にもかかわらず、いまだに帰ってもこなければ、連絡も命令もないのは、ただごとではない。まごまごせずに独断で処置すべきだ〉

 と考えたからだった。

××  ××

 五日午前三時ころ、遮蔽作業が終わった。東の空がしろじろと明るみはじめるころ

 『田中ッ! 田中ッ! 攻撃は失敗だ。部隊はだいじょうぶかッ?』

 平野大隊長が帰ってきた。

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