あるく 上半身は傷だらけ 一本のツエがたより

 田中曹長は、ゴウの入り口から外へ二㍍ほどはいでた。そこから四㍍ほど行けば、山頂の敵軍からは死角になっていた。

 救援の通信隊員らは、すでに五十㍍ほども先行していた。突然、身辺で手りゅう弾サク裂。曹長は腰から左腹部にかけて被弾。サッと燃えあがった炎がからだをつつんだ。

 〈敵め! ガソリンをまいたな〉

 曹長は一面の炎のなかを、どうしてくぐりぬけたか、自分でもわからなかった。

 先発した通信隊員ら四、五人のいるくぼ地へ夢中でころげこんだ。見習士官ら二、三人は、そこからさらに先行していた。

 曹長ら五、六人はすぐ敵の攻撃に応戦隊形をとった。

 〈敵が撃ってきたら、行きぬくためには、戦わねばならぬ。救援隊は、負傷の自分をただ救い出しさえすればいいと思い、頭上五、六㍍に敵がいることもなにもしらずに、ずかずか近づいてきたし、敵は敵で、日本軍が苦しまぎれに反撃してきた―と考え、ガソリンをまいて、手りゅう弾を投下すれば発火するように仕組んだんだろう〉

 田中曹長は、そう思った。両軍は沈黙のままむきあっていた。そのまま敵の攻撃がない。曹長は腹がたってきた。

 この通信隊のやつら、救出などと、いらんせわをやく。最前線にいながら、敵に不注意なのには、まったくあきれかえる・・・。

 先行していた見習士官以下二、三人が、曹長らをむかえにきた。さがってこないのを心配したyぷだ。

 曹長は兵隊に雑のうと図のうを渡し、自分であるく決心をした。

 歩く―腰から上にこそ負傷していたが、下のほうは無傷。なんでもなさそうなことだった。

 だが、きょう二十三日の朝から一口の食糧もとっていない。両眼の視力は、戦車砲、手りゅう弾、ガソリンの炎にやかれ、照明弾さえぼんやりぼやけて見える。耳も、よく聞こえない。

 さらに、左右両腕の貫通銃創を三角きん(傷をしばる三角の布)と、ぼろ手ぬぐいできつくしばっているため、しびれて思うようにはならない。

 めくらがツエをつくように、しびれた両手につえをもち、ぬかるみのでこぼこ道をさぐりながら歩く。

 さすがの救援隊も、一歩進んではころび、二歩あるいては、つんのめる田中曹長との行進にいや気がさしたらしく、とうとういなくなってしまった。

 たんぼのようなどろのなかへ踏みこむ。よろけて、手からツエをはなしてしまう。手さぐりでさがす。十分・・・十五分・・・疲れてどろのなかにへたばる。

 〈このまま、どろにうまり死んでゆくのか・・・〉

 激戦をたたかいぬいてきたことを思うと、いかにもみじめで残念だった。死力をつくしてはいまわり、やっとツエをつかむ。

 〈つえをたよりに一日がかり・・・か〉

 どろ田からあがって堅い、しっかりした地面を進む。ヌルッと足がすべって、前へつんのめった。急な斜面を頭からさきにすべりおちる。水のなかへ頭からもぐりこむ。思わず、火薬くさい水をふたくちほどのんでしまう。頭を水面に出す。四十㌢ほどの水たまりだ。傷の痛さにもまして、熱っぽい上半身に、冷たい水が気持ちいい。

 〈敵の五百㌔以上の爆弾―あの弾こんに、連日の雨で、雨水がたまったところらしい。俺はすりばち形の斜面をすべり落ちたんだろう〉

 熱っぽいからだを冷やし、ふたくちのんだ水で元気がわく。

 〈すりばちへ落ちたハエみたいに、はいあがる―そとから見たらそう見えるだろうなあ・・・〉

 しびれる両腕に力をこめ、穴をはいあがった。

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