寺田兵長 ソ撃弾うけて即死 突然水捜しに出かけ

 菖蒲伍長ら四人は、二日間、このゴウにいた。情報がはいり、まえにいた野戦重砲の陣地には敵が進入し、陣地をつくっている―という。すぐ、陣地移動の命令。動けない者は、真壁の大きなゴウへ移した。歩ける者は夜になるのを待ち、宇栄城のゴウへ移動した。ゴウ内に川が流れており、水には不便ないが、ゴウの入り口があまりにも低すぎる。これでは馬のり攻撃をうけた場合、ふせぎようがない―と心配していたが、よく朝、山ぞいに敵が進んできた。

 火炎放射器付き戦車に歩兵が四、五十人。山すそを火炎放射で六、七百㍍ほども焼きはらっている。

 伍長ら四人は、小銃弾五発、手りゅう弾十数発しかもっていない。敵をできるだけ近づけ、一気にこれらの兵器を使い、岩づたいに部落上の竹やぶに逃げこむ作戦を決めた。

 米兵たちは、警戒するようすもなく、くわえタバコでやってきた。三十㍍ほど接近したとき、寺田兵長が小銃発射、三人はいっせいに手りゅう弾を投げた。不意をつかれた米兵はあわてて二十㍍ほど後退した。

 米兵たちは四人を発見できぬらしく、めくら撃ちに撃っている。そのあいだに古屋敷の竹やぶへはいり、豚小屋へかくれた。

 くぼ地の豚小屋は、強烈な太陽をうけ、風ひとつなく、じりじり焼かれるような暑さだ。のどがかわく。水がのみたい。だが、敵と戦う武器ひとつなしでは、どうにもならない。竹やぶの外側、三㍍ほどのところを、つぎからつぎへと米兵が通過する。四人は息をつめ、じっとかくれているほかはなかった。

 〈はやく夜になればいい・・・〉

 祈るような気持ち―かれた竹の葉をしゃぶる。いっそうのどがかわく。

 やがて太陽が西の空にかたむきはじめた。

 〈もう一息のしんぼうだ〉

 その時、急に寺田兵長が豚小屋から外へはって出て行った。とめるまもなかった。

 〈どうしたんだろう?〉

 寺田兵長は、竹やぶから五㍍ほど進み、山の右側斜面をはいあがってゆく。そこに高さ一㍍ほどの岩があった。兵長が岩を回って進もうとしたとき、ソ撃弾が命中―。即死だった。何度も死線をくぐりぬけてきた戦友を、いま目の前で失う―菖蒲伍長は全身の力がぬけてゆくような気がした。

 西空をあかね色に夕日がそめるころ、真壁部落からの米軍の引きあげがはじまった。約千人ほどの米兵が、道路を沖縄住民と並行して歩いてゆく。米兵は住民に危害をくわえるようすもなく、子供が泣くと食べ物かなにかをやっている。その光景を見ながら

 〈これでいいのだ。日本軍と行動をともにしたところで、いまさらどうなるものでもない・・・〉

 菖蒲伍長はそう思った。日が沈み,薄ぐらくなっても、住民の行列はつづいていた。

 伍長ら三人は豚小屋を出た。水をのむため部落へはいろうとした。

 『兵隊さん・・・』

 突然、くらやみから声をかけられた。住民が三人―

 『山のうえに、まだ敵がいますよ』 

 伍長は礼をいい、水のあるところをたずねた。彼等は三升ほどはいる水ガメを出して、」のみなさい―という。

 伍長ら三人は、かわるがわる、カメがからになるまで飲んだ。

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