黒砂糖と兵 がんばってください 銃も持たぬ兵を励ます

 『ごちそうさん』

 あやめ伍長は、生きかえった感動をこめ、礼をいう。

『兵隊さん、腹がへっているでしょう・・・』

 三人の住民―そのひとりが黒砂糖をさしだした。

 伍長らは心から住民の好意に感謝し、黒砂糖をなめた。

 そばの小さなゴウから母親と娘さんが出てきた。母親は勤労奉仕でもらった朝日二箱をさしだし―

 『兵隊さん、がんばってください・・・』

 いう者も、いわれる者も、いまさらどうにもならないことはわかりきっている。それでも―

 伍長ら三人は、水をのみ、黒砂糖をなめて腹いっぱい。そのうえタバコまですって幸福を感じた。

 軍服を着ているとはいえ、小銃一丁もっていない敗残兵に、同胞として親切にしてくれる沖縄のひとびと―

 『兵隊さん、がんばって・・・みなさん、決して短気をおこして死にいそぎしないでください・・・』

 沖縄住民五人は、切実な思いをこめていう。兵隊たちもまた・・・

『ここは日本本土なのだ。日本はこのまま沖縄を見捨てるはずがない。かならず逆上陸してくる。それまでみなさんも、きっと生きのびていてください・・・』

 名前をたずねることも、」またなのることもなく住民と兵隊は別れた。

 (あの時、生き残るとは思っていなかった。あの人たちに、いまお会いできるものなら、あってお礼がいいたい―と、あやめさんは書いている)

 三人は苦労して平野大隊長のいたゴウへついた。だれもいない。〈ここは一本ゴウだ。攻撃をかけられたら、ひとたまりもないだろう。にもかかわらず戦死体がひとつもない・・・彼等は、陣地移動をしたか、それとも、五百㍍ほど後方の連隊本部のゴウへ後退したか?〉

 三人は本部ゴウへむかう。途中、連隊本部の兵隊にあった。吉田部隊長は戦死(六月十八日、同日、平野少佐も戦死)軍旗は、下士官兵ら十七人が護衛して後退した―という。

 斎藤軍曹が道案内にたち、一行三人は真壁部落から東南方の宇江城部落の師団司令部ゴウへ進んだ。

 二十数人の友軍に出会う。これから切り込みに出発するところだ。雨宮師団長は自決し、歩兵二十二連隊の軍旗は焼却したという。(軍旗焼却は六月二十四日、雨宮師団長自決は六月三十日、いずれも、最後の山兵団陣地となった島尻郡真壁村字宇江城部落のゴウ内で行なわれた。いまそこに山雨之塔が建っている。従ってこのあやめ伍長の手記は七月にはいってからのことと推定される)

 三人は、油紙につつんだ青酸カリを胸のポケットにいれているだけ。一個の手りゅう弾。一丁の小銃も持っていない。武器がないので、切り込み隊に参加することはできなかった。

 〈戦友たちが、こうして切り込み戦にでかけるというのに、自分は参加もできなければ、青酸カリをのむ気もおこらない。追いつめられたどたん場でないからだろうが、といって、生きようとしたところで、どこへ行けば安全なのか、そのあてもない〉

 中天に月。ややまるい月が、地上のむごたらしい死闘、人間同士の血みどろな争いを、つゆ知らぬように清浄な光りを戦場になげかけていた。

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