火の中 包囲され、逃げ回る ゴウへ火炎の追い打ち

 〈いまに迎えにくるから・・・〉

 実行不可能なウソ―自分だけが生きようとするあがき―しかし、撫養兵長は、いくらのがれようとしても死の手に握られている自分たち四人の運命を知った。進むほどに水田は幅三十㍍ほどにせばまり、両側の山上に敵兵が立ちならんでいる。照明弾がつづけざまにあがり、あたりは昼のよう。進めない。このままなら、みな殺しだ。兵長は、河野光雄上等兵(室蘭)に、もとの陣地へ引き返そう―とさそった。地形がよくわかっているので、後退は全身より楽だ。はって、六人の重傷者がいたところまでもどる。あれからいくらもたっていないのに、六人ともすでに死んでいた。

 〈迎えにくるから・・・〉

 水田の水を水筒にくんでやったのがせめてもの心づくしであった―と四人は、しみじみ語りあう。

 『さあ、元気を出して行こう。こんなところで死ねば、野ざらしになるぞ』

 死体のなかを、はって後退し夜明け前に、かん詰めのあったゴウに到着した。それぞれ各方向に転進した者は全部失敗して引き返していたし、ゴウに残った負傷者は元気、みんながよろこんでくれた。多勢のなかには大隊長・志村大尉・日原中尉以下大隊砲小隊員十数人の顔もみえた。

 この日の転進で小野、花井両兵長が戦死し、前田高地の陣地で脱出の世話をしていた新出田三一等兵も戦死した。撫養兵長は、元気のいい新出一等兵の顔を脳裏に描き、再会の時をたのしみにしていただけに、さびしさはひとしおだった。

 ゴウのなかには重傷者が約十人、軽傷者がつぎつぎに死んでゆく。敵は毎日ゴウを攻撃する。ゴウ内にたびたび小銃弾、爆雷、黄りん弾が撃ちこまれた。防ぎようがない夜、全員は、このゴウを出て、あちこちのゴウに分散した。

 撫養兵長の移った山上のゴウには水がなかった。焼けつく太陽に照らされ、汗もでなくなる。みんな死人同様フラフラ。小便を、あきかんにいれておく。それを夢中になって飲む―こんな光景も奇妙ではなくなる。

 いよいよ苦しく、たまらなくなる。すると、だれかが大地に穴を掘り、はだかになってはいって、からだを土に埋める方法を考えついた。兵長もやってみた。土に水分があるので非常に楽だ。かわきをふせぐには、いい方法であることを知った。

 負傷兵は傷口にウジをわかしおたがいにとりあいをしている。医薬品がないので、カンパンの袋で傷口をつつむのが最高の治療法であった。こうしているうちに、重傷者は死に、軽傷者は回復にむかった。

 やがて一同は、ここから百㍍ほど経塚部落に寄ったゴウに移動した。広い大きなゴウだ。その夜、撫養兵長は、入り口付近で敵を見張る歩哨(ほしよう)に立ったが、つぎの日の午前十時ころ、敵兵が入り口付近にやってきた。

 『兵隊サン、デテコイ・・・』

 米兵が日本語で叫ぶ。ゴウ内の日本兵は、じっと息をころした。米兵は、二度、三度と叫ぶ。いくら叫んでも答えがないので彼らは、何事かを相談するらしい。仲間と話す英語が聞こえてきた。そのうちに重油のにおいがただよいはじめた。

 『火炎放射をやるぞ。気をつけろ!』兵長は奥へ向かって叫び、自分は、通路になげ捨てられていたふとんを足元へひきよせた。

 とたんに、もの凄い火炎が、ゴウ内に飛び込んできた。兵長はふとんを頭からかぶり炎をさけた。ゴーゴーと、うなりとどろく炎の音が、全身をゆりうごかす。死んだように息をとめているほかはなかった。

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