同情 敵のスパイとは思えず 金を与えて逃がす

米軍は、第三中隊が守備する石峰の陣地を占領しなければ、首里に踏みこむことはできない。すでに彼等は、石峰の右側の部落を占領し、目的地に迫っていた。

その夜、歩哨(しょう)の高安一等兵が”まえの穴に、三十四、五歳の女性がいる”と知らせてきた。

佐藤上等兵は、スパイが前線をうろつき、敵と連絡をとっている―と聞いていたので、中村軍曹に連絡をとり、一等兵に連行を命じた。

連れてこられたのは、人のよさそうな婦人だった。軍曹は、彼女の所持品を調べ、事情をたずねてから工藤中隊長の指示をうけに出て行った。婦人は、家族全部に死なれ、ただひとり敵兵でいっぱいの前田部落から、命がけで逃げてきた―と涙ながらに語っていた。上等兵は、この女性がスパイのような気がしなかった。

『ここも危険だから、今夜じゆうに島尻へ行きなさい。金は持っていますか? 』

島尻では、イモが四㌔で五、六十円している―という。上等兵は、婦人が行きぬくことを願った。彼女は、サイフをだしてみせた。二、三十円より持っていない。上等兵は、万一の場合にと、胴巻きにいれていた百円札の一枚をさしだした。婦人はなかなか受けとらなかった。上等兵は強制的に持たせた。彼女は好意に感謝し、何度も何度も頭をさげてサイフにいれた。

もどってきた軍曹は、本部で調べる―といい、婦人を連行した。上等兵は、正直で、あやしいそぶりのない婦人の無事を祈った。やがて、本部から帰ってきた中村軍曹から、婦人は疑いがはれ、島尻へ行った―とききいいことをしたと思った。これがまちがいであったことを、上等兵が知ったのは、つぎの日になってからだ。

翌朝、タコツボ堀りから美馬上等兵とB一等兵が帰ってきた。美馬は、友軍の切り込み隊が、作業中の彼等のそばを通り上の陣地へのぼって行った―という。ところが、B一等兵は

『沖縄の婦人が先頭に立って道案内をしていた。あれは敵兵だ』

といってきかない。どちらがほんとうなのか―佐藤上等兵はたしかめるべく、斜面をかけのぼって、頂上のほうを見上げた。

岩上をエンピ(軍隊用のスコップ)をガラガラ引きずってのぼってゆくのは、まさしく敵兵だった。

〈敵の散開突撃だ! 〉

上等兵は、斜面をすべりおりて叫んだ。

『敵襲だッ! 陣地が馬のりされるぞ。はやく本部へ連絡をとれッ! 』

中隊本部から中村軍曹も、駆けおりてきた。

『戦車隊本部が馬のり攻撃をくったぞッ。分隊は、戦車特攻要員を残し、中隊本部に集合ッ! 』

軍曹は、美馬上等兵と他部隊からの転属者をその場に残し、金田、伊藤両一等兵をつれて走りだした。佐藤上等兵は軽機を持った高安、中平両一等兵を指揮し、敵に一発あびせようと斜面を頂上へ向かって駆けのぼった。ねらっていたのか、砲弾がサク裂する。三人は散兵ゴウに飛びこんだ。

ふりむいて、首里街道を見るとM1戦車が三台、上等兵らの方向に砲をむけていた。ねらわれている―と思った瞬間、砲口が火をふいた。初弾はそれた。だがつづく弾着は一発ごとに正確になる。身辺でサク裂するタマのため、約十㍍さきの中隊本部陣地へ走りこむことができない。

佐藤上等兵につづく高安、中平一等兵は“早く行きましょう! ” “早くッ! ” と、せきたてるが、いま立ちあがるときではない。上等兵は“待て待て・・・” と怒鳴り、陣地へ駆けこむすきをうかがっていた。

 

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