トマト ちぎるのも惜しげに・・・しばらく見とれる

山三四七六部隊近江隊(連隊砲中隊)の満山凱丈上等兵(上士幌町字黒石平電源開発十勝電力所勤務)は、五月一日、古波津付近の小沢陣地で左眼失明。右眼も弱視となり、野戦病院ゴウに収容された。そのゴウへ五月四日夜、総攻撃の負傷者大勢が運びこまれ、上等兵は、トラックでほかの負傷兵と東風手の野戦病院へ移された。

この野戦病院―丘を縦横にくりぬいた広い地下ゴウにも負傷兵が続々と運び込まれた。ゴウの両側にタナが三段に設けられてあったが、四、五日のうちに、満員になった。

満山上等兵の向かい側に、顔じゅう血まみれの包帯をまいた兵隊がはいってきた。衛生兵は近江中隊の山道昇一等兵だという。総攻撃の日、砲弾の破片が山道の両ほおを貫通し、あごがダランとさがってしまった。上下の歯を針金で結んで処置してある―という。

『山道ッ! 満山だ。わかるか?』

顔を近づけ、声をかけた。山道は上等兵の顔を見上げ、かすかに首をたてに振った。ものが言えない。握りめしもくえない。食事の時は、衛生兵が山道の口の中に細いゴム管をいれ、なにか流しこんでいた。

これら数百人の負傷兵を、数人の軍医、二、三十人の衛生兵、沖縄県立第二高女生(白梅部隊)の一群が受けもち、看護に忙殺されていた。軍医は日夜、手当てや手術に追われていたし、衛生兵の大半は前線に動員され、残った者はみんな疲労、睡眠不足でフラフラになって立ち働いていた。女学生たちも、身動きできぬほどの負傷兵に、あちこちから呼びたてられ、何日も寝ていない。病院とは名ばかりで薬品は不足し、治療ができない。十五日ごろから死ぬ者が続出しはじめた。死体は夜、衛生兵がゴウの外へ運びだして捨てる。毎日、何十人も死ぬので埋葬している時間がない。山道一等兵も、いつ息をひきとったのか、衛生兵に運びだされていった。

外は、雨期をむかえ、毎日の雨降り。ゴウ内は、湯気のなかにいるような湿気―中央の通路は、雨水のため、ひざまでぬかる泥田になっていた。このなかへ、苦痛にあえぐ重傷者がたびたびころげ落ちて、叫び、もがきまわる。そのまま死ぬ者もいるが、衛星部員以外は、だれも助けようとはしない。負傷兵は他人の死には無関心になっていた。

突然、ゴウ内に爆発音がひびきわたった。苦しさのあまり負傷兵が、まわりの者を道連れにして手りゆう弾自殺をしたのだった。

××  ××

満山上等兵は、グラマン機の去る夕方、ゴウからでてキャベツを捜し歩いた。雨に洗われた青草が緑を塗り替えたばかりのように美しい。そのくさむらのなかに、赤い小さなトマトをひとつ見つけた。ちぎるのが惜しくてしばらく見ほれていた。

〈小さなトマト、小さな感傷なのだが美しいなあ・・・〉

頭上を、うなりをたてて砲弾が飛んでいる。トマトをむしり取った。

〈恐ろしい・・・このごろ、おれはタマの音を聞くと、からだがふるえる。どうしたのだろう? まったく情けないことだ・・・〉

いちもくさんにゴウへ逃げかえった。

眼球の脱落した左顔面がはれあがって、ズキズキ痛む。壁の土に、痛む顔面をおしあてる。冷たくていい気持ちだ。〈キャベツの葉―あれも頭や顔を冷やすのに、とてもいいんだが・・・〉

視力が弱く、遠くへは行けない。地面をのぞきこむようにしてキャベツを捜す。たまに見つけても、小さなものばかりだったが。

 

 

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