津嘉山へ 迫り来る優勢な敵 いたむ足ひきずり移動

〈山上、お前は、ほんとうに死んだのか? あんなに元気者で勇敢なお前が・・・ 〉

工藤中隊は、死守するはずの石峰陣地から首里へ向かって進んでいた。

〈山上、ついきのうまで、何度となく生死をともにしてきたお前を、ここに残して去るのは悲しい。どうか、戦死した戦友たちとともに、安らかに眠ってくれ・・・〉

佐藤上等兵の胸に、多くの戦死者たちのことが思いうかんだ。つらい思い出ばかりの戦場だが、去るとなると、なんともいえない寂しさを感じた。

××  ××

やがて中隊は、首里の連隊本部に到着した。内部がりっぱにつくられたゴウ内で、大隊本部軍旗小隊などの戦友たちから生還を喜ばれ、佐藤上等兵はわが家に帰ったようなうれしさをおぼえた。

袋にいっぱいつまったカンパン、かん詰め、新しいくつ下が支給になった。死ぬことより考えていなかった身には、まるで夢のようだ。何日も泥水につかっていた両足の皮は、くつ下をぬぎ替えるときに、赤むけになり新しいくつ下は血でそまった。口の中が痛くなるのをがまんして、カンパンをたべつづけた。

中隊が首里へ後退して何時間もたたぬうちに、敵は、もう首里へ迫っていた。

その夜、工藤中隊は、部隊の最後尾となり、首里から津嘉山へ転進することになった。

佐藤上等兵が、ゴウから出ようとしたとき、小銃をつえに、足をひきずって近づいてくるひとりの兵隊がいた。

青白く、やせ細ってはいるがその顔には、見覚えがあった。ぼんやり立ちどまった彼の顔を上等兵は、ぐっとみつめた。

〈鷲津正太郎(一等兵)の亡霊かな?・・・芦崎分隊の彼は戦死した―といっていたが・・・〉

だが、幽霊ではなかった。

『おお、鷲津・・・おまえ、元気だったのか?』

佐藤上等兵の感激した叫びに、鷲津上等兵の血の気のない顔にも、生気がみなぎり、キラッと、両眼が輝いた。

『上等兵殿も、お元気でなによりです・・・』

芦崎分隊のただひとりの生き残り・鷲津一等兵は、石峰の分隊陣地全滅のもようを、上等兵に語った。

敵は芦崎分隊の陣地に迫り、さかんに手りゆう弾を投げ込んだ。優勢な敵に、分隊員は死力をつくして抵抗した。負傷者がでると、鷲津一等兵が傷の手当てをし、包帯をまいてやった。

『陣地を見たとき、戦死者がみんな包帯をまいて死んでいたが、あれは、鷲津、お前だったのか・・・』

ナゾに思っていたことが、これでわかった―佐藤上等兵の脳裏に、芦崎分隊のゴウに横たわっていた戦死体がうかんだ。ゴウから一、二㍍でたところで戦死していた芦崎分隊長。彼のカンパン袋を抱えたうれしそうな顔・・・

〈あのとき、むりにひきとめてでも、タバコをいっぷくのませてやればよかったなあ・・・〉鷲津一等兵は、銃剣でゴウの壁に穴をくりぬき、なかへはいってかくれていたが、敵の投げ込んだ発煙弾にまぎれて脱出することができた―と語った。

『・・・それから野戦病院のゴウにはいっていたのですが、出てきてよかったです。もう一足遅れていたら、敵のなかにひとり残されるところでした』

ふたりは痛む足をひきずり、津嘉山へ向かった。国道には、もう敵戦車のキャタピラの音がひびいていた。部隊とともに。

 

戦記係から 昭和三十九年六月六日法律第一五一号で、恩給法の一部がつぎのように改正された。(担当官は道民生活世話係、増谷久馬係長)

一、南西諸島において昭和十九年十月から昭和二十年九月までの間、戦務に服した旧軍人、旧軍属の服務帰還一カ月につき二カ月(昭和二十年四月から六月までの沖縄本島における服務期間については一カ月につき三カ月)の戦務加算に準ずる加算を付することになった。

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