故郷との会話 妻子に帰り知らす うわごとで絶命寸前に

その兵隊は、血と泥によごれ、ゴウのすみに横たわっていた。世話する者もない。

〈俺同様、他部隊の者らしい・・・ 〉

向かい側の満山上等兵は、彼が歩いているのを見たことがなかった。大小便をたれ流して死んだように寝ている。

〈死んでいないまでも、もう意識はこの世にないのだろう〉

静かだった彼が、なにか低い声でつぶやく。なにをいっているのか、よく聞きとれない。

〈うわごとをいっている。あと三十分はもたないな・・・ 〉

『・・・子いるか?』

彼が、だれかの名前をよび、語りかける。

『・・・も・・・も持っていろよ・・・おとうさんは帰るからな・・・』

相手が、すぐそこにいるかのような口調だ。くらいドウクツのなか。だれも看護する者も、付きそっている者もいない。

〈彼が話しかけているのは、故郷に残した妻や子供だ。いま、しかばねになろうとしているこの男―北海道の肉親の者にムシのしれせということは、ないものだろうか?〉

満山上等兵は、涙をこらえ、心のなかで祈りつづけた。

『きた、きた・・・飛行機がきたぞ。おとうさんは、あれにのって帰るからな・・・』

彼は全身にウジをはわせている。だが、うつろな目だけは、妻や子の姿を眼前に見つめているように輝いていた。そのまま、ダダをこねていた子供が眠りにつくように絶命した。

〈地獄とは、あの世のことではない。いま、俺の回りで起きていること、これが地獄なのだ〉

満山上等兵は、合掌してめい福を祈った。

×  ×

上等兵は、」みんなの話から、最後の突撃命令がでたこと、中島軍指令官と長参謀長が自決したことを知った。(六月二十三日)

急に、ゴウ内から兵隊がいなくなった。カンテラの薄明かりの下に負傷兵が十人ほど横たわっているだけだ。

〈動ける者だけで、国頭へ行ったんだ。負傷者を置いてゆくため、秘密のうちに計画をたて、実行したんだ・・・ 〉

満山上等兵は、ゴウ内のかべによりかかり、ぼんやりしていた。空腹をおぼえ、炊事場へ行った。袋に少量の米が残っている。あきかんにボロ切れをつめ、石油をいれて火をつけた。飯ゴウをしかける。

残された負傷兵たちは、生きているのか、死んだのか、身動きもしない。原器のいい兵隊たちのいたときには感じなかった孤独感におそわれる。

〈この期におよんでも、俺は死にたくない。自決したくない。ひとりでがんばってゆこう〉

めしをたべながら、ゴウ内がどうなっているか―調べてみたくなった。カンテラをさげ、奥へ進む。

死体は片すみにつみかさねてある。丸太のようだ。死体を整理してから死んだのか、それとも、始末しわすれたのか、通路に二、三体の死体がころがっている。

医務室をのぞいて、ギョッとした。将校がひとり、こちらに背中をむけ、イスに腰をかけていた。気配にふりむき、よわよわしく笑った。二回ほど治療をうけた見習士官であった。

 

 

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