ぼたもち 腹いっぱい食べる 玄米とそら豆のあんで

日記は七月二十日。骸骨(がいこつ)がシャツをきたような横井兵長が

『苦しい。死なせてくれ。たのむ! 』

といいだした。あと二日ともちそうもない。だれもとめなかった。兵長は、手りゆう弾をポケットにいれ、最後の気力をふりしぼってドウクツを出ていった。

満山上等兵は、生きようと思った。

〈第一に食料を確保しよう。友軍の到着を五年後とみて、各ゴウをさがして、できるだけ食料を集めて貯蔵する。一日一食とし、ひとにぎりの米に、野草、サツマ芋の葉をいれて、おかゆをたべよう〉

山すそへ芋を掘りにおりてみたが、つるばかりで芋がない。芽をつんで持ちかえった。これを敵に感づかれないような場所をえらんで植えた。三カ月後には芋がたべられる計算だった。

食料さがしに与座岳の連隊本部のゴウへはいった。ロウソクのあかりで見ると、地面一面が死体。入り口付近に、粉みそ、粉しょうゆ、黒砂糖、玄米のかますなどが積みあげてあり、そのうえにも白骨が散乱していた。

奥へ進むにつれて死体が多くなり、一足ごとに骨の折れる音がひびく。半ズボンだけの死体があおむけになっていた。全身の筋肉が、ひからびて骨にはりつき、ミイラになっていたが、右手に手りゆう弾をしっかり握りしめていた。その指の一本一本もかわいた肉の皮の黒いミイラだった。

つぎの夜から前田一等兵とふたりで食料をはこんだ。食料を確保すると、前回失敗した探検に出発した。

まえに引きかえしたところから先は、水のない川を行くようなものであった。水の流れたあとが、大小の岩石についている。歩くのに時間もかかった。二千㍍ほど進んだ。

それまでは約一㍍幅だった通路が、急にせまくなり、右上方へ四十五度の傾斜となっている。進んで行ったが、岩の割れめに消えており、からだをいれることができない。

そのせまい割れめから、ふたりをここへさそった冷たい風が依然として流れでている。たしかに地上へつながっているのだが、どうしても進むことができない。首里への地下道の夢はやぶれ、がっかりしてひきかえした。

×  ×

八月十日。満山上等兵は、ドウクツに侵入してきた若い米兵を射殺した。彼は武装していなかった。二、三日後、朱山上等兵が、“世話になったなあ・・・”といって息をひきとった。

八月十五日。内地のお盆だ―

『家では、俺たちが死んだものと思い、黒わくの写真をかざり、線香でもあげているだろう。こちらでも、なにかごちそうをつくろうか・・・』

負傷兵たちは、おはぎづくりをはじめた。ソラ豆をゆでて、ひとつずつ皮をむき、つぶして黒砂糖をまぜてあんをつくった。玄米を一升びんにいれ、棒でつついて白米にし、めしをたいた。できのわるいおはぎだったが、腹いっぱいたべ、北海道の話みはなをさかせた。

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