思わず、神様… 砲火の中、急降下 爆撃機、カジを転じ軍艦に

「志田手記」は、九日に神山島への奇襲攻撃が行なわれ、翌日(四月十日)早朝米軍舟艇が神山島に大砲を陸揚げしているのが見え、昼ごろになるとまた、前日に変わらぬ砲撃が始まった―と書いているが、そのころの外電が伝える戦闘状況は―

【リスボン六日発同盟】グアム島来電=ニミッツ司令部は、六日の公報で、沖縄島作戦開始以来、米陸軍および海兵隊の死傷が、五日午前零時現在において、合計九百七十三人に達した旨、小出し発表した。

【チューリヒ特電、六日発】沖縄本島の戦況に関し、六日ニミッツ軍司令部では、米海兵隊は、北方側面において、八㌔に進出したが、南部における日本軍の抵抗が、次第に強烈となってきた、と発表している。

一方、米第七十七師団は、西海岸地区を南下しているが、その進出距離は、わずか三㌔に過ぎない。この陸上部隊の作戦を支援すべく、艦砲射撃および爆撃を依然続行中である。

【リスボン七日発同盟】ニミッツ司令部は、七日の戦況公報をもって、日本航空隊が六日琉球水域の米艦隊に猛攻を加えた旨、発表したが、沖縄の米軍前進基地発六日付け報道によれば米軍が沖縄上陸を開始した一日以来、最大にして最も強烈なものといわれ、AP従軍記者グランド・マクドナルドは「日本航空部隊は、米侵攻軍を援護補給する米艦隊に、ほとんど終日、息つく間もなく、攻撃を加えた」と報じ、UP記者エドワード・トーマスも、記者がこの記事を書いている間、六日午後も、日本航空部隊の攻撃は間断なく続行されている、と伝えている。

【リスボン九日発同盟】前線からのAP電は、沖縄戦況に関し、米百八十四連隊の第三大隊は、日本軍の突撃の前に陣地を放棄しなければならなかった。次の新しい地点を選んで再攻撃にはいっているが、結果いかんはまだ判明していない。AP記者は、遅々として進まぬ作戦の困難を次のように述べている。

那覇の北方には、同島を南北に両断する堅固な防御線が設けられ、日本軍は、かんじょうな要さい陣地によって抵抗している。日本軍の抵抗が、日増しに激しくなることは、上陸当時から予想されていたことではあるが、現在ホッジ少将指揮の第二十四兵団の進撃速度は、一日二百㍍にとどまり七日ごろからは日夜、日本軍重砲兵の猛射を浴びて苦戦の連続だ。東海岸の部隊は、与那原の飛行場をめざして進んでいるが、一日かかってわずか三百五十㍍前進したにすぎず、しかも、与那原までまだ二千㍍もある。西海岸の部隊は、ようやく百五十㍍前進、牧港飛行場まで三千㍍の地点に到着した。日本軍守備部隊は、米軍の上陸以前にその主力をこの防御陣地に集結し、南部全域を戦場として徹底的に戦いぬく決意らしい。

【リスボン九日発同盟】沖縄島米軍司令部来電=那覇北方の防御陣地における要地「赤色高地」は、いまや両軍争奪のマトになっているが、八日朝、米軍は五台の戦車を先頭に高地へ突入、地雷原を突破して、さらに前進しようとした時、日本軍は戦車めがけて焼い弾の雨を浴びせたのち、銃剣をきらめかせて突撃を開始した。

この戦闘の結果、米軍は戦車三両を失い、同高地を放棄しなければならなかった。

【リスボン九日発同盟】去る九日午前より午後に、沖縄島周辺における日本軍航空部隊の猛襲に関しては、ニミッツ司令部も、公報において、そのシ裂さを認めているが、沖縄沖にあるターナー坐乗の旗艦に同乗するAP特派員は、皇軍神ワシの体当たり攻撃の模様を、戦リツの眼をもって描いている。

六日の空襲は、沖縄島で最初の大規模なものだった。もちろん、侵攻軍の司令官たちは、上陸当日こそ、そうした大空襲があるものと予期していたのが…。とにかく旗艦の艦橋から見ていても、全く恐ろしい光景だった。

日本軍の航空機は、爆弾や魚雷を抱いたまま雲の間から、ものすごいうなりをたてながら、猛烈な対空砲火のカサのなかに突っ込んでくる。

高射砲は、一機たりとも水陸両用艦隊の上空を通過させまいと、射撃をつづけている。最も劇的印象を残したのは、この旗艦めがけて長い直線を描きながら、ばく進してくる急降下爆撃機だった。

旗艦の全火砲が、砲門を開いて近づく日本機に奔流のような弾丸を浴びせかけた瞬間、航空機は急にカジを転じ、近くの軍艦に突っ込んでいった…。神様当たらせないように、あの船に命中させないように…思わずかたわらの水兵が大声で祈ったくらいだ。

 

沖縄戦・きょうの暦

4月25日

米軍、沖縄本島北部の七五㌫を確保。また、南部では首里北方四㌔の地点、翁長、西海岸の南側城間の線に進出。

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