すごい日本砲兵 全戦線に弾幕 重砲、地軸をゆるがす

当時の外電から、米側では沖縄戦をどう見ていたか―もう少し続けてみよう。

【リスボン四月十日発同盟】九日の米側前線報道は、一斉に沖縄本島南部の日本軍が、重砲を大規模に使用している点を強調、しかも山岳陣地における日本軍の勇敢な抵抗を指摘して、米軍がここ数日間、一㍍か二㍍の緩慢な進出しかできない状態を伝えている。

ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン特派員発信のニュース=沖縄南部の戦闘は、まったく遅々たる膠着(こうちゃく)戦におちいり、日本軍は、太平洋戦域ではじめての大規模な火力を使用、全戦線にわたり恐るべき弾幕をはりめぐらしている。

きょうは、師団司令部が砲撃をうけ、付近の大隊陣地に地軸をゆるがすばかりのロケット臼(きゅう)砲弾数十発をふくむ六百発近い砲弾が落下した。米軍は、日本の一発に対して十発くらい返礼していたが、激しい砲撃戦は、米第二十四兵団の部隊が、日本軍主力陣地と接触した今日、最高潮に達し、四百㍍正面の前線を前進する歩兵一個大隊に対し、砲兵四個大隊が援護射撃を行なうという状態である。

ニューヨーク・タイムス特派員発信のニュース=米第二十四師団の将兵は、太平洋で従来にその比をみない激しい日本軍砲火に、しばしば停止しなければならなかった。九日朝、西海岸にそって進撃したときも、日本軍主防御陣地の一部の守備隊をやっと撃退したかと思えば、たちまち日本軍の砲火をあび、一歩も進めなくなってしまう。

米軍は、相当長い間、日本軍砲兵陣地に射撃を集中したが、日本軍は米軍歩兵陣地を猛射し、現在なお激しい砲兵戦が続けられている。こうした死に物狂いの砲兵攻撃と同時に日本軍は、おそらく五百㌔におよぼうという重臼砲を使用している。

【リスボン十一日発同盟】那覇北方山岳地帯における戦況についてAP特派員は、日本軍重砲火のもとに、しばらく待避を余儀なくされていた。

米軍第二十四兵団の一個連隊は、十一日早朝、陣地を飛び出し那覇北方の日本軍要塞陣地に殺到したが、たちまち臼砲、機銃その他小火器のマトとなり、かろうじて、ふたたび高地頂上にたどりつくことができたと報じた。

同第二十四兵団に従軍するニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙特派員は「牧湊飛行場の東方三㌔の日本軍陣地をめぐる血戦は、第二日も勝敗を決しないまま暮れようとしている」と嘆じ、沖縄本島における日本軍の防御態勢に関し、つぎのとおり論じている。

日本軍司令官は、消極的防御というような考えを、いっさいすてて六㌔以上の戦線にわたりすこしの土地でも失いそうになれな、ただちに反撃に出る。その増援部隊は、首里から続々北上し、いまや日本軍は、前線に相当な兵力を集結した模様だ。

牧港と東海岸の和宇慶とを結ぶ線には、日本軍の一連の陣地がある。欧州戦の体験者は、これを評して巧緻(こうち)かつ構想豊かであると同時に、従来に見たいかなる陣地よりも見事に組織されているといっている。

丘の陣地にたてこもる日本軍は、完全な条件を備えている。装備は最近整備したらしく、ことに自動火器を豊富に持っている。首里周辺の十字火陣地には五十㍉ないし、三百㍉の榴(りゅう)散弾(さんだん)砲、中小口径砲、対空地上両用砲などが、さまざまに配置され、海陸からの攻撃に対して、全面的に防御し得るようになっている。

今度の沖縄作戦で、最も驚くべきことの一つは、日本軍が榴散弾砲ならびにカノン砲の射撃を極めてたくみに、かつ、大規模に使用していることで、その砲火の激しさは、せまい米第七師団陣地に、五分間に二百六十三発という小砲弾が集中された事実によっても知られる。

  •           ◇

【四月十日の冨里日記から】来襲機も艦砲も、ほとんどない至極平静な一日。新鮮な空気と観戦欲にかられゴウを出た。四月の陽光がさん然と輝やき、微風は山膚の草原に涼しく、雲ははるかに高い。あちこちに一昨日の艦砲の破片がある。もう赤くさびている。

キビ畑でキビをかじっているところに中城村の安里英宏君がきた。キビをかじりながら戦局を論じた。軍が、沖縄出身者から切り込み隊要員を募集していると、彼がいう。なんでも、夜中に敵の幕舎に手榴弾を投げて帰ればいいとのことだ。

安里君は、そのくらいのことならだいじょうぶできると自信ありげだ。一、二回程度なら成功するかもしれない、右往左往逃げまどう奴等を見るのは痛快だろうと、あいづちをうち語りあった。

 

沖縄戦・きょうの暦

4月26日

米軍は午前六時から仲間、前田、幸地の日本軍陣地に攻撃開始。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です