泥人形の行進 すごい砲弾落下 連日の雨ひざまでぬかる

 

歩兵第二十二連隊第二大隊(平野少佐)が、十三日、我如古(がねこ)東方高地に進出、激戦を展開して、敵中に孤立しているのも知らなかった―と第十五回で書いたが、生存者の田中松太郎曹長(札幌郡広島村市街)の手記に基づいて、ここへくるまでの経過をふりかえってみる。

第二大隊本部は、豊見城村字宇栄田にあった。四月十日、作戦命令で<十一日未明までに首里北方に進出、第六十二師団(石兵団)長の指揮にはいれ>といわれた。

田中曹長は指揮班長として各中隊の命令受領者にこれを伝達するとともに指揮班長には、出発前の休養を与えた。

敵機は頭上をかすめ、艦砲弾や神山島からの砲弾が、たえまなく落下する。田中曹長は、満州時代以来、持ち歩いている茶器を出した。ここ(宇栄田陣地)を離れたくない―執着をおぼえる。ここへ敵が上陸してくるとの確信のもとに、将校以下不眠不休、サツマイモとその葉をまぜた塩ぞうすいをすすり、構築した陣地。みんなの血と汗と涙がしみているこの陣地をすてて、見ず知らずの第一線陣地で敵に立ち向かう―別れがたい愛着を感じた。

九州で買い求めた夏目の抹茶を茶せん(筅)でかきまわす。現われては、われる泡が、あといくばくもない生命を暗示するかのよう。

田中曹長は、陣地一帯をながめながら今生最期と思い、ゆっくり、茶をすすった。

湯上がりの平野大隊長が茶を所望する。陣地移動のあわただしさのなかで、大隊長当番がドラムカンのふろをわかしたのだ。

「十五日ぶりで、いい気持ちだ。お前もはいってこい。この世の最期のふろ、この世の最期の茶だ。田中、満州以来、ながいあいだ大隊長として公私とも、無理難題、ずいぶん世話をかけたな。いよいよ今夜からの戦闘で、天命の至すところ、別々に死んでゆくぞ。よろしく」

平野少佐は泰然と茶をのんだ。田中曹長は、ひとふろを浴び、ヒゲをあたった。

湯上がりのほてるからだを。陣地山頂に運んだ。岩と松のあいだに立つ。水平線を黒くうめつくした敵艦隊を見つめた。海風が心地いい。

第二機関銃中隊長佐藤長太郎中尉(札幌)が上がってきた。田中曹長は、同郷の戦友の覚悟のほどをたしかめたかった。

「りっぱな葬式だ。米艦隊の幾千とも知れぬ観艦式、礼砲。戦う者の最期、もってめいすべしか…」

佐藤中尉は、とがった声を出した。

「おい、田中、お前死ぬつもりか?」

二人は、満州でなんどもいっしょに演習にはげんだ仲。それが、ここまできて死に別れする。

―佐藤中尉には、ゆるせない「俺は死なんぞ。まだまだ若い。見果てぬ夢がたくさんある。なんとか命ながらえて札幌の土を踏むぞ」

堅い決心がこめられていた。それを聞く田中曹長の脳裏には夕ばえをうけた藻岩山の紫色の山容。遠くかすむ手稲連峰がうかんでいた。

午後七時。指揮班以下各中隊集結。将校は先行し、田中曹長指揮で行進開始。砲弾落下がすごい。きのうまでは見られなかった激しさだ。豊見城(とみぐすく)に通ずる路上は、砲弾と約十日間にわたる連日の雨で泥沼。兵は、一般兵器のほかに千キロの急造爆雷をもったため五十キロ以上の重量。行動は思うようにならない。頭上からは、榴(りゅう)散弾のサク裂、落下する砲弾は、泥、岩、破片をふりかける。全員、泥まみれ、泥人形の行進―

―たぶん、スパイだ、と田中曹長は思う。きのうまでは、こんなにひどい砲撃ではなかった。敵は、わが部隊の前進を察知したんだ。慶良間列島方面にいた敵艦隊が、本島に接近してきて、砲撃を浴びせている。

沖縄島民のなかには、南方から帰ってきた者が、たくさん米軍のスパイとして働いているといううわさがあるが、彼らのしわざにちがいない。さっき、防空ゴウの入り口に立っていた島民のなかのだれかが、われわれの部隊行動をなんらかの方法で敵艦に連絡したんだ。三十分もたたないうちに、この激しい砲撃―田中曹長は、スパイがうらめしかった。

人員の損害を少なくするため、各隊の兵隊を道路の左右約十メートルに疎開させて前進をつづけた。道路わきの畑や草地は、ひざまでぬかり、行進は難行苦行。

豊見城の南、約一キロの地点で道産子中隊川島七男中尉(札幌)の第三中隊と合流した。彼は軍旗中隊。脚のながい、豪放な川島中尉は、分厚いくちびるを堅くひきしめ、疲れを知らぬエネルギッシュな歩みをつづけていた。

 

沖縄戦・きょうの暦

4月27日

牧湊の日本軍陣地突破される。島田知事、識名の警察部ゴウで、未占領地域の市町村長、警察署長を集め会議を開く。

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