真柳手記 写真に残る童顔 散った道産子三十七人

【真柳手記つづき】

真柳倶也さんが戦記係に送ってくれた山三四七七部隊(第二十四師団制毒隊)の三十七人の戦死者の氏名、出身地、戦死月日、戦死場所をしるしておこう。

西沼勝司兵長(函館市西川町十三)大名で五月上旬。安保二郎兵長(夕張)大名で五月十二日。武田与三郎兵長(栗沢町上幌)真栄平で六月中旬。高田武兵長(留寿都村三の原)大名で五月十五日。八重樫卿治兵長(室蘭輪西)新垣で六月十五日。杉村博伍長(黒松内)真栄平で六月十七日。古谷武夫上等兵(北見)コザ病院で、月日不明。平田豊三郎上等兵(森町本茅部町)大名で五月二十日。荒川上等兵(北海道だが出身地不明)戦死場所、日時不明。道場朝治上等兵(北見)新垣で六月十五日。山崎上等兵(松前)戦死場所、日時不明。丹羽博伍長(苫前町岩見)大名で五月。島田修悦上等兵(大野町)場所、日時不明。前田兵長(稚内市北浜通り)真栄平で六月二十日。野村盛兵長(上川郡温根村北静川)大名で五月下旬。赤田義信上等兵(函館)首里で七月。木村一等兵(北海道)場所、日時不明。福永直行一等兵(室蘭輪西)五月四日、場所不明。柿崎一等兵(室蘭)五月中旬、場所不明。細川上等兵(北海道)場所日時不明。岡本一等兵(室蘭緑町)五月、場所不明。田淵垣成上等兵(三笠市中央)真栄平で六月十七日。山内一等兵、山田兵長ともに北海道だが、場所、日時不明。菊池一男上等兵(奥尻青苗)新垣で五月。小野大作伍長(札幌北七西二)首里で五月二十七日。山口義雄上等兵(函館宇賀浦町)六月末、場所不明。藤沢貞雄上等兵(北見)真栄平で六月七日。谷地武好上等兵(日高様似)新垣で六月十九日。三好衛生上等兵(北海道)五月戦死、場所不明。管野曹長(山形県)与座岳で六月。西広秀伍長(北見)大名で五月上旬。高橋金平中尉(山形県)真栄平で六月末。中陣軍曹(釧路)新垣で六月十五日。高見明晃上等兵(江別市)大名で五月上旬。中村貞治上等兵(北見)大名で五月上旬。

写真を見た。どの頭も、どの顔も、そのへんで遊んでいるワンパク小僧のあどけなさが残っている。母の名を呼んだだろう。北海道の山野を思い浮かべただろう。同胞の繁栄を願い、そのために死んでいった人々―

霊魂があるか、ないかはしらない。だが、沖縄で体験した一つのことを報告する。

ことしの二月十九日、糸満町字真栄里の玉城徳夫さんに案内され、真栄里一帯のジャングルの中、あちこちと歩きまわっていた。朝から歩きまわり、夕方近いのに、資料として持ち帰れるような写真もとれないし、エピソードにも出会わない。

<こいつが、ボヤボヤしてるから、ムダぼねをおるのだ。札幌の一日とは違うんだ。とんでもないやつをガイドにしたもんだ>と玉城さんをうらみ、イライラしながら、まといつく草や木を押しわけ、疲れた歩みを運んでいた。文字どおり、草の根を分けて捜し歩いた。なにもない。

「ああ、そうだ。こっちの方にも山部隊の陣地があったなあ」玉城さんのいいわけのようなとぼけた声、やめるわけにもいかない、汗を流して丘を登りはじめた。とがった岩の道だ。<まるでハリの山だ。おれをからかっているんだろうか?>

頂上につくと、あっちの斜面だという。ひどいやぶだ。草につかまり、木の枝にすがって、糸満に面した斜面をおりはじめた。猛毒のハブにかみつかれそうな不安を押え、繁みをかきわけてどうくつ陣地を捜した。いくら捜しても見つからない。しかたなく下までおりて、畑仕事をしていた農夫を案内にたのみまた登って捜した。

農夫はあちこちと、カマで草をなぎ払いやっと、入り口のつぶれたどうくつを示した。<苦労したあげくがこれだ>写真にすることも、はいることもできない。やけになってシャッターを切った。

農夫はおりてゆき、玉城さんは丘をたくみに登って行く。人気ないやぶの中においてけぼりをくっては大変と、一歩、左足を踏み出したとたん、いきなり、ひざまで足が地下にめり込んだ。ひざがしらが猛烈に痛い。ナイフのような岩の先が、ズボン、ステテコを切り、肉に突きささっている。<地面を踏み抜く?生まれてはじめてだ。さては、ごうのなかに遺骨があるな?はるばる北海道から、ここまできていながらふくれつらをして帰るおれを、たしなめてくれたな>ズボンの上から、流れ出る血を押え<すまなかった。こんなところでさびしいだろう。きたんだ。死後のしあわせを祈る>この日、この時、はじめて手をあわせた。

 

沖縄戦・きょうの暦

5月2日

米軍は東海岸、中央部、西海岸の三方から猛攻開始。戦況は一進一退。

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