ガスエソ 手リュウ弾くれ 自決する兵は叫んだ

佐藤手記 道路わきに、材木でも放り出したように、戦死体、負傷兵がなげ出されていた。

負傷兵は、そばを歩く者の足音を聞きつけて頭をあげる。「衛生兵殿ッ、助けてくれ…」「水をくれ」必死になって叫ぶ。―おれが助けてやれるくらいなら、君たちの戦友が捨ててゆくものか。もう、ダメだ、ダメだ…あきらめるんだ―心で叫ぶ。しかし、負傷兵には、

「しっかりしろ」とはげましの声をかけ、すばやく通りすぎる。(五月二十二日から二十八日まで豪雨が降りつづいた)

夜は、毎夜のように雨が降り野も山も畑も、ドロ沼に変わる。ドロまみれの負傷兵が、あちこちで救いを求めている。だが、だれも振りむかない。助けを求める声は、悲痛をきわめた。

これが勝ち戦であったら、みんな名誉ある白衣の勇士なのにゴミアクタのように捨てられている。彼等は、命のかぎり救いを求めている。その前を通る傷一つない自分なのに、だまって見ないふりをして通りすぎて行かねばならぬ。どうすることもできないのだ。おれも、君たちを捨てて行った戦友たちも、みんな心では泣いている。君たちだって、それはよく知っているはずではないか―だんだん歩みを早め、逃げるように走り出す。

首里のごうでは、母親が腰を撃ちくだかれて絶命、胸に、しっかり赤ん坊を抱きしめていた。赤ん坊が火のついたように泣いている。そばを、避難民が列をなして通る。だが、赤ん坊を抱きあげる者はいない。他人に抱かれて死んでゆくより、母親の胸で思う存分泣き、眠るようにして死んでゆけばいいんだ―それ以外にどうにもならない。

迫撃砲弾がサク烈するたびに異様な叫び声がひびく。砂じんが消えると、かならず、戦死体が二つ三つころがっていた。

石兵団の洞穴をのぞいた。直撃弾をうけたらしい。人間のかたちを失った死体が散乱している。頭は飛び、足はちぎれ、腸は露出、天井には脳ミソのようなものが、ベッタリとはりつき、血が、雨だれのように、したたり落ちていた。

×  ×

六月二日ごろ、本部、第一中隊、第二中隊の生残者は小渡(おど)部落へ後退、第三中隊は摩文仁部落に後退した。

六月十八日、生残者の一部が賀谷支隊に転属し、その他の将兵が、摩文仁約一千㍍の高地に転進中、攻撃をうけた。以後、損害多く、組織的戦闘力を失った。―と以上で厚生省の資料は記録を終えている。佐藤手記は時間、場所、将兵の名前など、いくらか具体性を欠いているが、独立速射砲第二十二大隊の行動を記録したものとしては、ただ一つなので、もう少しつづける。

×  ×

ひるは洞穴内にかくれ、夜間行動した。勝つためではない。すこしでも敵の進撃を遅らせるためだ。われわれは、強力な友軍の救援を夢見ていた。それが希望だった。いつ義援軍がやってくるか、そのあても見当もなかったが―

照明弾が、戦死体の顔を青黒く照らし出す。負傷兵の顔も死体の顔と同じように青い。死期の迫っているのがわかる。

「この傷では、とても生きてゆけない。おれは自決する、腰から手リュウ弾をとってくれ」

小松上等兵が叫んだ。自決する兵隊は、たいてい、ガスエソにかかっている。足がブクブクにはれあがり、痛みをうったえる。

「あぶないから、お前たちは穴の中にはいれ」

小松は叫び、私(佐藤)のとってやった手リュウ弾を発火、自爆した。私(佐藤)は、たのまれるまま、平然と手リュウ弾を手渡した自分が情けなかった。

こうして死んでゆく戦友の叫び声と、手リュウ弾のサク裂音が、あちこちでひびいた。

死は、また、音もなくしのび寄ってきた。砲撃のない静かな夜。ふと目をさます。からだがだるい。あたりでは、みんながよく眠っている。急に死の不安におそわれる。となりの戦友をゆり起こす。いくらゆさぶっても起きない。からだが硬直している。死体になっていた。

軍司令部は、摩文仁へ後退をはじめた(五月二十八日、豪雨の中)重傷兵たちが、たがいに抱きあい、すがりあって進む。ドロの中をはっている者、岩にすがって進む者など、大勢の重傷兵で、地獄絵のような光景だ。

菅原一等兵は、遂に与座で息絶えた。警官だったという彼は、よくビンタをとられていたが―。長田兵長は、失明してはいまわり、葛城中尉は高須賀上等兵といっしょに負傷したが、当番兵の銃剣で自決した。

 

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