ロケット弾攻撃 聞きなれぬ音 監視所の天井吹っ飛ぶ

 鈴木繁雄曹長は、手代森甲官軍曹と敵戦艦の艦砲発射数をかぞえていた。鈴木曹長が、中隊から手代森分隊の陣地へでかけたのは、あまりにも艦砲弾が猛烈だったからだ。二人は、陣地の入り口にたち、熱心に数えつづけた。二人の前方十五㍍の地点に、艦砲弾が三発落下した。“ビシッー”気味のわるい音が耳元でした。鈴木曹長は手代森軍曹のほうをふりむいた。軍曹は『ウーン』とうなり、両手で腹をおさえて前へくずれた。

 砲弾の破片が帯剣のバンドをつらぬき、腹にささったようだ。手当てをしようにも、飛び出した腸がふくれ、腹のなかへはいらない。曹長の止血も間にあわず、手代森軍曹は出血多量で絶命した。

 中隊最初の戦死者として、八重瀬岳頂上の裏側に墓標をたてて埋葬した。四月二十日ごろのことだった。

 四月二十三日ごろ、鈴木曹長は一人の兵と、中隊指揮班の監視所に立ち、敵の行動を見守っていた。

 聞きなれぬ音を耳にし、不審の念をもった。“ジュージュージュー”・・・

 (なんだろう)

 突然、すさまじい爆発音。と同時に、耳はきこえなくなり、目が見えなくなった。十分ほどたった。あたりがぼんやり見える。からだにさわってみた。負傷していない。天井が明るい。視線をこらして見ると、天井のコンクリートが吹き飛び、ロケット弾の破片が、からだのまわりに四つ落ちている。

 (よく、助かったもんだ)

 命びろいした奇跡に感謝の念がわく。敵は、わが監視所を一斉射撃したことがわかり、すぐ曹長は伝令を第一大隊本部へ走らせた。

 ××  ××

 前回につづく名簿(2)

 山田常男伍(中川郡中川村字大和六八、父、常蔵、五月四日呉屋北方で戦死)山本和基上(士別市上士別町字奥士別、妻、ミツエ、五月四日小波津で)山崎芳造上(網走市字藻琴二三○、母、チヨイ、五月四日翁長北方高地でソ撃弾で戦死)山崎政雄上(芽室町、父、寅吉、五月二日小波津一本松でソ撃弾で戦死)八ツ井壽三一(小樽市真栄町、父、豊次郎、六月十二日高良北方台上で爆雷攻撃で戦死)児玉忠伍(稚内市恵比寿通り二丁目鉄道官舎、父、米蔵、五月二十七日高良北方台上で爆雷攻撃で戦死)小松利男上(本別町、父、弥三郎、六月二十三日戦死)合田茂上(紋別郡遠軽町留岡、生存)丸地軍次大尉(愛知県豊橋市東田町西脇二四、母、リセ、五月五日運玉森で戦死)松田松一上(上川郡鷹栖村近文十線十二号四、父、勝次、五月四日小波津戦線で迫撃砲弾で戦死)前安直上(常呂郡端野町三二、母、ユキ、五月十五日運玉森)真下兼次郎(岩手県九戸郡戸田村字山根、父、寅蔵、六月二十日与座岳で戦死)正木勝美上(網走郡津別町字高台、父、正男、五月四日小波津にて負傷、二十日新垣野戦病院で自決)槙清太郎一(上川郡新得町字新得基線九三、父、啓次、五月四日小波津で戦死)石沢寅雄准(福島県安積郡日和田町大字日和田二五五、妻、淑子、五月二日運玉森で艦砲直撃弾で戦死)生田三郎伍(北見市字下仁頃、父、義智、五月四日運玉森で戦死)岩沢岩蔵伍(旭川市神楽町南一番通り一一二、父、双吉、五月四日運玉森で戦死)岩見進一伍(増毛町大字河分村三五、五月四日運玉森で戦死)今川米五郎兵(中川郡中川村字下宇戸内、父、作太郎、五月一日小波津戦線で両手足負傷後、手りゆう弾自決)

戦記係から 札幌市月寒中央通り六丁目、本間恭子さんから二十四師団司令部員の名前のわからない写真がたくさんあります。司令部所属の人の遺族で、写真のない方に、本間さん所有のものをさしあげますーと連絡があった。

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