スパイとビラ 船上から発火信号 日本軍の服装で暗躍

 四月二十五、六日ごろ、棚原地区の戦局は一進一退、さかんにスパイ暗躍のデマがとんだ。

 『スパイは日本軍の将校や下士官の服装をしている。なかには女もいる。男は後頭部、女は陰部にしるしをつけている』

 鈴木繁雄曹長には信じられないことだった。だが、そういえば、陸上からと、これにこたえるかのように海上の船の上から、発火信号があがるのを何度か見た。その意味をくみとることはできなかったが・・・、また、毎日のように敵機は、降伏勧告のビラをまいた。軍命令で、部落民は知念半島へ避難せよーとの布告がでた。住民は夜ごと減っていった。

 ところが、間もなく住民たちが続々と帰ってきた。米軍がいて、知念半島へ行けない―というのだ。

 四月二十九日、山三四七六部隊(歩兵八十九連隊)へ出動命令がでた。鈴木曹長は一人の兵と前線へ先発した。

 第一線へ行くには、一晩では行けない。夕方出発。朝まで行軍し、日中は津嘉山のごうにかくれ敵弾をさけた。

 第一中隊酒井亀男伍長(富良野出身)も一人の兵隊をつれ鈴木曹長らと一緒に先発していたが、部下が艦砲弾で戦死した。酒井伍長は、その埋葬中、飛来した砲弾で戦死。部下のあとを追った。

 津嘉山山頂では、観測班が友軍歩砲兵の弾着を観測し、山の下では、砲兵が撃っては、すぐ陣地変換をし、砲の位置を変えては砲撃していた。ぼんやりしていると、十倍以上のおかえしがくるからだ。

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 前回につづく名簿(3)

 岩淵将栄上(利尻郡鷺泊村字湾内六○、生存)五十嵐春雄上(音更村然別基線六八、生存)石山国治上(北見市中町字北光社蘭国四七二六、兄、千代之助、六月十四日八重瀬岳後退後生死不明)伊藤竹松上(泊村字植内番外地、生死不明)伊藤智上(幌別村日鉄社宅三十一ノ一、父、三郎、五月四日翁長北方高地で迫撃砲弾で戦死)石谷惣一上(北見市字大正部落、生存) 岩田実上(常呂郡留辺蕊町字旭三六、父、仲次郎、六月十二日八重瀬岳北方台上で爆雷攻撃で戦死)岩崎末吉一(常呂郡訓子府村北訓子府九組、妻、春枝、六月十二日、八重瀬岳で艦砲直撃弾で戦死)伊丹貞雄一(大阪市住吉野区住吉町一九九、父、喜久松、五月二日小波津一本木で手りゆう弾で戦死)出羽茂上(河西郡大正村上札内東二五、父、監一、生死未確認)五十嵐松夫伍(十勝郡浦幌村字下コロベ、生存)伊藤由太郎上(中川郡本別町本別亜麻会社社宅六二、母、ナヲ、五月四日小波津で戦死)伊藤時保、階級不明(大樹村字大紋別、父、三郎、生死未確認)林勇伍(常呂郡端野村字川向八五一、父、十次郎、五月四日小波津で戦死)早川武雄上(釧路市米町、留守責任者不明、五月四日小波津戦線で迫撃砲弾で戦死)春日嘉一上(中川郡幕別村字札内二ノ六、父、松太郎、六月五日兼平軍曹と八重瀬岳より切り込みに出発。戦死と推定)林旭上(斜里郡小清水村、父、熊次、生死未確認)浜野芳雄上(河西郡大正村、兄、幸作、六月二十五日戦死、場所未確認)原谷国義一(常呂郡留辺蕊町字平里、父、岩作、六月十二日与座岳で負傷により戦死)星野慧一曹(群馬県利根郡水上村字寺内、生存)宝沢要太郎伍(女満別村字太城二八、父、久助、生死未確認)下野誠三郎一(鹿児島県河辺郡加世田町川畑四二六五、妻、マツ子、五月四日小波津で戦死)

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