石沢准尉 “ああ!小隊長殿が” 部下思いだったのに

 同じく山田博中隊(第一重機関銃中隊)第二小隊(長・石沢寅雄准尉)の第一分隊長鈴木清三伍長(斜里町川上ホクレン公宅三三四)の手記によって、当時のもようをつづる。

 湊川付近にいた、第二小隊は五月一日夜、山三四七五部隊と交代の命令をうけ、午後七時ころ激しい適法弾のなかを運玉森めざして北上した。路上には、足の踏み場もないくらい友軍のなまなましい戦死体がちらばっている。続々と担送されてくる七五部隊の負傷兵に、鈴木伍長は胸が痛んだ。

 一晩中行軍して運玉森に到着。夜が明けてくる。以前、ここで陣地構築をし、地形を記憶していたが、いまは、艦砲と空爆ですっかり変わりはてていた。

 陣地の一部分が残っていた。兵隊は陣地にはいってよろこんでいる。だが、軍馬を入れることができない。せっかく武器、弾薬をここまで運んできたのに。兵隊になついている軍馬は、いくら追っても、もとの陣地へ帰ろうとしない。のんびり、そのへんの草をたべているが、このままでは敵の目標になる。かわいそうだが仕方がない。軍馬射殺の命令で涙をのみ、全部撃ち殺した。各部隊は指示どおり配置につき、戦闘準備にかかった。ノモンハン帰りの古強者石沢小隊長は、ごう内の部下を見渡し

『この戦闘はおもしろいぞ。ただし、危険を感じたら、いくら上官の命令があっても、中止することが大切だ』といった。小隊員は、後方陣地から泡盛(あわもり)を持ってきていた。砲声を耳にしながら酒盛りをはじめた。酔いがまわる。行軍のつかれがでる。背のうをまくらにすると、みんな寝込んでしまった。

 鈴木分隊長は、自分のとなりに、石沢小隊長が横たわったのを、眠気におそわれながら感じていた。

 それから、どのくらい時間がたったかー突然、至近距離で砲弾がサク裂、鈴木分隊長はショックで目がさめた。ごう内は砂煙でいっぱい。無我夢中で出入り口へ走った。入り口は土砂がくずれ、はって出るのがやっとだ、よつんばいになって出るとき、ヌルリとしたものが手にふれた。

 (だれかやられたかな?)

鈴木分隊長は直感した。だがあとから続く兵がいる、とまって調べられない。外へ出るとすぐ、長瀬分隊長に、戦死者のことをつげた。

人員点呼をとる。鈴木分隊は全員無事。

『小隊長殿がいません』

石沢准尉がいない。たずねたが、だれも知っている者はいなかった。

(さては、さっきのは、准尉殿だったか・・・)

鈴木分隊長は自分の両手のひらを見つめた。すじのなかに、血が細く赤くかわいていた。

(准尉殿は、部下の寝ているあいだも、敵のことが気になり出入り口に立って、敵情を偵察していたのだろう。ついさっきまで、われわれのことを心配してくださっていたのに・・・)

なんともいいようのない寂しさを感じた。

×    ×

前回につづく名簿(6) 高橋金蔵伍(旭川市九条十一丁目左一号、父、留蔵、六月十四日八重瀬岳より切り込み出発後生死未確認)高倉健一上(常呂郡訓子府町六六二、妻、清子、六月十六日八重瀬岳より後退後生死未確認)俵作造上(紋別郡興部町沙留原野南三九三、父、庄蔵、八月八日八重瀬岳で戦病死)根岸新太郎一(野付郡別海村大字平糸字上春別原野、兄芳松、五月四日小波津で迫撃砲弾で戦死)長沢鶴男伍(紋別郡興部町字沙留、父、大次郎、五月四日翁長北方高地で戦車砲弾で戦死)

戦記係から ☆札幌南二十一西六坂井久子さんが、弟の坂井末雄伍長(西興部村瀬戸牛から志願で出征、支那戦線に従軍後、沖縄で戦死)の写真を持って来社、部隊名、当時の状況など、ご存知の方をたずねている。

夕張市鹿島栄町一丁目十三番地、丹保すえのさんが、兄の谷本喜助伍長の写真を送付、部隊名、状況をたずねている。

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